「幸運」をコントロールしながらいろいろな夢を一つづつ実現してきた私ですが、
最近になって、それでも
「本当の自分はまだまだこんなものじゃない」
という感覚が(それこそ「津波級」で!)日々押し寄せてきています。
特にここ1年くらいでしょうか。
みなさんもそんな気持ちになることはないでしょうか。
凄く頑張っている、凄く努力している、
やれることは結構全部やっている。
でもやっぱり「本当の自分はまだまだこんなものじゃない」と。
その感覚は十中八九正しいです。
おそらくかなりの確率で
「あなたはまだまだそんなものじゃない」です。
「運をコントロールする方法」をずっと研究していると、
それと同時に、いつも対になって考えていかなければならないコンセプトがあって、
その中でも、特に「運」と表裏一体いなっているのが、
私たち一人一人が持っている、私たちなりの「能力」と「才能」です。
これは決して誰かと比較する前提に立ったものではなく、
あくまで「あなた個人の強み」としての能力・才能のことです。
私は以前の著書の中で、
いくら成功者の真似をしても意味がない、
ある人の「成功の秘訣」は他の人には「実現不可能」、
「万人に通用する手っ取り早い『成功法則』なんてこの世に存在しない」
と、少々辛口気味で書いています。
私も相当数の成功哲学本や自己啓発本を読破してきており、その経験から思うのは、
「私たちはとても『固有の存在』で、
その生まれた時の状況、
育った環境、
出会ってきた人、
選択してきたもの事、
取ってきた行動、
そして決断してきた内容、
その全てにおいて、「どれ一つ同じ人なんていない」
ということです。
成功したい、上手く行きたい、運を上げたい、自分を生かしたい、と思う人の数だけ、
「千差万別の人生」があるわけです。
ついでに言うと、
この世の中に存在する、全ての人の人生にそれぞれ起こる「出来事」には、
どれ一つとして同じパターンはありません。
私は「特許」に関わる仕事もしているためか、
例えば、歴史の中で私たちの生活を劇的に飛躍・向上させてきた画期的な発明や新規の科学技術、
思想や文化などは、
人間が作り出す「無限のアイデアパターンの組み合わせ」
であることをよく理解しており、
更にその「無限のアイデアパターンの組み合わせ」からできた1つの新規のアイデアに、
更に追加された新しいアイデアを少しづつ追加していくことによって、
全く別の最新のアイデアに進化していき、
別の新たな特許や発明や科学技術や思想が生まれてくる、
という仕組みで物事が成り立っているのを沢山見てきています。
何がいいたいのかというと、
私たちの「人生」も全く同じである、ということです。
誰一人「同じ人」ではない、
全員「千差万別」の経験と生き方をしてきている、
当然持っている能力や才能も「千差万別」、
人生に起こる出来事のパターンとその組み合わせも「千差万別」、
だからこそ、ある人にとって重大な「現実」は、別の人にとっては全く意味がなく、
だからこそ、ある人にとっての「成功の秘訣」や「能力開発法」は、他の人にとっては「実現不可能」なことが多い。
そんな「矛盾」が起こってしまうわけです。
つまり、私たちにとって本当に必要なのは、他の人が真似しようのない
「あなただけに通用する」成功法則」や「運のコントロール方法」を知ることなのです。
そこで次に大切になってくるのが
「あなたの能力と才能」の見分け方です。
自分になんてたいした能力はない、
自分の才能がわかならいので模索している、という人から、
この能力が強みだと思うからもっとレベルを上げたい、
おそらくこの部分が自分の才能の可能性があるから鍛えたい、という人まで、
いろいろだと思います。
自分の能力の知り方、自分の才能の見つけ方についてなどは、
また徐々にブログにアップしていこうと思っていますが、
今日はまず、それ以前に、
「最も大切なこと」を皆さんに気づいてもらおうと思います。
これは皆さんの中で、「薄々このことに気づいている」方もいらっしゃるのではないか、と思っています。
こんな風に思うのは、もしかしてちょっと恥ずかしい?
こんな気がしてしまうのは、もしかして私ってちょっと傲慢?
と気恥ずかしくなりながらも、でもどこかで「ちょっと待って、でも。。。」
なんとなくこういう風に思った経験はないでしょうか。
自分の能力は何か、才能は何か、の云々以前に
「もしかして、自分の『能力』と『才能』が『封印されている』のではないか」
という思いです。
自分としては何の根拠もない、
周りの人に話したら絶対に笑われるにきまってる、
でもある分野で自分はいつも結構いいせんまで行く、
出そうでで切らない能力、なんとも言えないもどかしさ、
でも何となく「自分の能力や才能」が見えて隠れしている微妙な感じ。。。
でもやっぱりなぜか「形」にならない。。。。
これって実は大アリなのです!
おそらく、みなさんの中で、何とも言えないもどかしさを感じている、あなた自身のその「能力的部分」、
これは「開花したら相当ヤバい」レベルになる可能性が秘められている「宝物」だと思っていてください。
絶対そうだから。
十中八九あなたのその「感」は正しい。
場合によっては、
自分の中で見え隠れしている「自分の能力・才能」と思わしき部分だけではなく、
むしろあなたが「苦手」だと思い込んでいた分野が、
実は思いっきりあなたの才能であったりする場合もあります。
このパターンは本当に多くて、
前回の「魔物」のお話ではありませんが、
「苦手だと思い込まされるている」場合が非常に多いのです。
あなたが能力を発揮しだしたり、あなたの才能が開花してしまうと
「都合が悪い」
存在、というのは絶対にいるんです。
要は、能力や才能を「封印」されていることがあるのです。
これはちょっと怖いことですね。
だって自分の最も強い部分を、生涯にわたって「封印」されて「無いもの」とされるんです。
人生にかかわるような大問題です。
それで大きくキャリアが変わってしまうかもしれません。
それで大きく幸福感を(それも長期にわたって)奪われてしまっているかもしれません。
もしかしたら生涯収入にも大きく影響しまくっているかもしれません(コレ、実際よくあります。)
大問題です。
例えば、私は今でこそ理系分野で能力を発揮することができていますが、
今まで生きてきた人生の4分の3以上の時間、
「理系分野こそ私の最大の弱点」だと思い込まされていました。
理系に強い方であれば、なおのこと理解していただけると思いますが、
理系の思考法や技術者の仕事というのは「逃げ場」がありません。
数学でも化学でも物理でもそうですが、
自分が間違っている限り永遠に結果は出ませんし(実験やっていればよくわかります)、
製品開発の分野、ましてや「特許」の分野などは、
何百通りの手順を試して失敗、また試して失敗、の繰り返し。
まさにエジソン状態に延々に向き合いながら、ベストな道を模索していくしか、「正解」にたどり着けないのです。
「文系」がそうではない、と言っているのではありません。
文系と理系では、この世での「存在意義と使命」が全く違います。
いずれにしても、「能力や才能」というものは、その規模や深さに関係なく、
私たちに与えられた「ギフト」です。
それを、最初は自分のために、
徐々に人のために、
最終的には世の中のために、
開花させて役立てていくために「能力や才能」があるんです。
料理が上手、話し上手、聞き上手、思いやりがある、忍耐力がある、努力家である、
こういった、「分野」ではなくもっと抽象的な「能力・才能」だって立派に世の中に貢献できます。
だから「封印」されたままではダメなのです。
そこで大事になってくるのが、
「まず、自分の能力や才能はちゃんとあって、それが封印されているかもしれない」
という可能性をまずは認識してみることです。
意識してみるのです。
そうすると、「思い当たること」が芋ずる式ででてくるかもしれませんね。
私はそうでした。
そしてそこで「遠慮」しては絶対にいけません。
あなたが「あなたの能力・才能」を自分で認識して使えるようにすることは、
あなたの絶対的権利です。
「封印」を解いていく方法、心構えについても、また徐々にブログで書いていきますね。
誰もが、自分の「能力・才能」にどんどん気づいて、
それを自分のため、人のため、世の中のために思う存分使っていけるような時代が、
ようやくこれからやってくるみたいですけれどね。
これはまた別のお話で。。
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