「才能」とその「代償」は常に『セット』である、ということ。
身近に「特異な才能」と同時に「発達障害」を併せ持つ知り合いがいます。
彼は、ある分野で突出した能力を持っており、国際的な専門機関でその「突出した能力」を「公式認定」されているのですが、
それと同時に
「ADD(注意欠陥障害)」
という、発達障がいの一種を併せ持つことも診断されています。
(*「ADHD」は「注意欠如・多動性障害」として、「ADD」とは別のカテゴリーの発達障がいでしたが、欧米の一部の国々では「ADHD」と名称を一括して統合している地域もあるようです。)
私は以前、この知人の影響で、
★「才能」と「障がい」との関連性
について、興味を持ってかなり長い期間、調べていた時期がありました。
もちろん、現在でも「才能」というものを「一つの研究対象分野」として取り扱っているつもりです。
★「才能学」の分野
みたいな感じでしょうか(「才能学」という「新たな分野」を開拓中でもあります。)
「障がい」のある人に「驚異的な才能」が宿っていることが多々ある
というのは、「運の研究」を続けている中で、また「運と才能の関係」を見ていく中で、私自身が強く実感していることなんですね。。
実際に、各分野で偉大な功績を遺した「歴史上の人物」たちの逸話や伝記などを紐解いてみると、
その各分野で「特異な能力」を発揮してきた人達には、なんらかの「偏り」というものがあることがわかり、
とても興味深いものです。
例えば、
世界的に有名な発明家のトーマス・エジソン
相対性理論を打ち出したアルバート・アインシュタイン
もっと昔に遡れば、マルチな才能であらゆる分野で功績を残しているレオナルド・ダ・ヴィンチ
逆に現代まで追ってみてみると、マイクロソフト創始者のビル・ゲイツ氏
Meta(旧・フェースブック)のマーク・ザッカ―バーグ氏
ここ最近世の中を賑わして止まない、テスラのイーロン・マスク氏などが、
いわゆる
『天才型発達障害』
を併せ持った人物であると言われています。
そして、「才能」と「天才型発達障害」とを併せ持つ、こうした過去・現在の偉人たちをはじめ、
一般の人々の中にも「突出した才能の持ち主」として、その片鱗が見え隠れする人たちというのがいます。
★ ギフテッド
と呼ばれる人たちですね。
「ギフテッド」呼ばれる人たちは、近年になって、日本でもようやくその存在が注目を集めるようになってきています。
欧米では、すでに40年以上も前から、こういった「ギフテッド」の特性を持つ子供達に特化した能力開発の研究がされてきていますし、
実際に、通常の学校での勉強に加えて、「ギフテッド」の能力開発に特化した教育プログラムが導入されてきています。
日本では、昨年2022年あたりから、文部省が本格的に「ギフテッド教育」の導入に舵を切りはじめましたよね。
例えば、この『運ラボ』の以前の「才能に関する記事」では、
世の中には『ギフテッド(Gifted)』と呼ばれる人たちがいるのを、読者のみなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
『ギフテッド』の概念は心理学でも脳科学でも、かなり以前から存在してはましたが、実際には、ここ最近になって特に目立って聞くようになった言葉だと思います。
『ギフテッド』とは、『特別な才能を天から与えられた人』という意味ですね。ギフテッドと呼ばれる人の中には、世間離れした類まれな才能を持っているケースが非常に多いです。
『ギフテッド』という用語自体は、心理学用語でも医学用語でもありません。いわゆる「まるで、神様から特別な才能を与えられたかのような存在』という意味を強調する目的で、通常の頭脳や能力の「範囲」とは明らかに区別するために、あえてそのような表現を使っているものです。
類似語で『タレンティッド(Talented)』と言われることもあるようですが、知的能力が際立って高い人(ギフテッド)と、より芸術的才能に優れている人(タレンティッド)を区別するために、あえてそのように分けて使う専門家などもいるようです。
通常、『ギフテッド』は、20歳以下の子供や青年を指して使われることが多いのですが、大人になってから改めて『ギフテッド認定』される人も結構います。
ギフテッドかどうかの判断というのは、今までは主に、知能指数であるIQスコアを参考にしてました。基準はIQ130以上で、人口でいったら、約2.4%の割合でギフテッドが存在していることになりますね。
ギフテッドは、単に知能指数やその知的好奇心が極度に高い、というだけではありません。
例えば、ギフテッドの子供たちの顕著な特徴として、
●その実年齢に対して、物の見方や捉え方が非常に成熟している、
●共感性・感受性が非常に高い、
●大人レベルの考え方をする、
●創造性が高く、独特の新しい方法を使って目の前の問題を解こうとする、
●視点が常にユニークである、
●自意識が高まる前の幼児期から既に思いやりの精神が非常に高い、
などの、独特の傾向を持っています。
『運ラボ』【誰も知らない『運と才能の秘密』⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~ https://fortunementality.com/secret-fortune-talent-gifted
と、「ギフテッド」を紹介させていただいています。
ただし
「ギフテッド」=「発達障害」ではない
ということが重要なポイントです。
❶「ギフテッド」の特性である「1つの分野で突出した能力のみを持つ」タイプのギフテッド
❷その「突出した能力」が、その他の多くの分野にわたって確認できるような「オールマイティ型」のギフテッド
❸先ほどのように「1つ、又は複数の分野で突出した能力」と「発達障害」とを併せ持つ「2E(Twice Exceptional、二重に特別な存在)型」のギフテッド
など、
一言に「ギフテッド」といっても、様々なタイプに分類することができるのですね。
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確かに、イーロン・マスク氏やマーク・ザッカ―バーグシなどが放つ言動や企画などを見ていると、
ギフテッドの特性である「創造性」「改革性」「強い好奇心」「激しい行動力」「独自の考え方・行動の仕方」などが、全て当てはまっているように感じられるのですが、みなさんはどう感じられますでしょうか。
特にイーロン・マスク氏などは、彼が打ち出す「斬新な考え方」「実行力」「ビジネスモデル」と表裏一体であるかのような、
数々の「奇抜」「突飛」「驚き」の言動
で、良いも悪いも、世の中に強烈なインパクトを与えているように感じられます。
彼らの「才能」の源泉がどこから湧いて出てきているのか
そして、特に先ほどの
「2E(Twice Exceptional、二重に特別な存在)型」のギフテッド
のように、「ADHD」「ADD」「アスペルガー症候群」「学習障害」等の発達障害を併せ持つ人々の場合、
現実の日々の生活の中で、多くの「困難」や「生きづらさ」や「苦悩」を抱えていることも事実であることから、
その「才能」と「障害」との狭間で、彼らは何を感じ、何を考え、そして何に悩みながら生きているのか
ということを、
彼らから常に深く考えさせられるのですね。
世界的な才能発掘オーディション番組で優勝した「障がいを持つ天才」
おそらく誰もがその名を一度は聞いたことがあるであろう、世界的に有名な、ある「才能発掘オーディション」番組で、
自閉症と盲目の二重の障害を持つ青年が優勝したことがありました。
母親に付き添いされて、杖をつきながらステージに登場した彼について、その母親は
息子は「音楽に助けられている」
息子は「音楽の中にいる時」だけ「障がい者にとって苦しみだらけのこの世界」から解放される・自由になれる
と語っていました。
審査員たちは、彼に優しくその演奏と歌唱を促しました。
ピアノに向かって、一人ステージに残された彼を、
約4000人近い観衆と、審査員たちが「これからどうなるのか」と見守る中、
彼は見えない目をピアノの鍵盤に注ぎ、歌い出したのです。
その瞬間、
先ほどまで出ていた自閉症の症状が瞬間的に消え去り、全く別人のようなオーラを歌声と放ち始めました。
審査員を含めて、会場中の観客全員が、一瞬にして彼の音楽の世界に「釘付け」となり、
その声、表情、歌い方、一寸の狂いもないピアノ伴奏、放たれる別人のような強烈なオーラに、私も驚きを隠せませんでした。
たった数分間の演奏が「何年も続いたか」のような強烈な感覚
だったのを覚えています。
審査員長を務めた、辛口で有名な音楽プロデューサーは、会場中が歓喜と賞賛の嵐で彼をたたえている中、この自閉症と盲目を併せ持つ青年のことを、
「これこそが『才能の極み』」
であると、感極まって語っていました。
「今ここで起きたことは『驚異』」
「桁外れの素晴らしさ」
とも語っていました。
会場約4000人の観衆たちと同じく、彼の音楽の世界に一瞬で引き込まれた私は、彼の奏でる歌声とメロディーとピアノの世界を垣間見て、
ある印象を受けました。
それは、
彼の『障がい』こそが、実は彼の「才能」と「魂」と、そして「命」を守っているのではないか?
ということでした。
彼のお母さんは「才能によって彼の障がいが救われている」とおっしゃていましたが、
私には、逆に
「障害が彼の才能を強く守っている」
というふうにしか思えませんでした。
私が「そう感じた」のには理由があるのですが、
「驚異的な才能を持つ人」というのは、その「驚異的な才能」が「開花」した場合、
その「脅威的な才能による世の中への多大な影響力」を与えられた「代償」として、その「驚異的な才能」を行使するにあたって、通常では考えられない、尋常ではない「エネルギー」を消耗する
ことになります。
言葉通り
「命を削って才能を輝かせる」
という状態に置かれます。
これは、西洋・東洋にかかわらず、運占学などでも言われていることですが、
「持っている星(才能・能力)」を輝かせる=才能・能力を外へと発揮する場合
には、その「持っている星の燃焼」という現象が起こり、
その時に、その才能・能力を持っている本人の身体的・精神的な「枠」や「器」を超えて、多大なエネルギーが同時に消費されることになります。
また、その「驚異的な才能」ゆえに、多くの「誘惑」や「干渉」や「悪意」といった、多大な負のエネルギーを向けられる場合も多いです。
更に、その「驚異的な才能」が故に多くの人からの賞賛を受ける一方で、その「驚異的な才能」を背負う者の「孤独」を一緒に課せられます。
私は、この自閉症で盲目の、類稀なる才能を持った青年を見ていて、
彼の「障がい」が、こういった「命を削る要素」から彼を守っているように見えて、仕方がなかったのですね。
★「脅威の才能」に向けられるであろう世の中の「嫉妬」から、その「恐ろしいほどの才能」を『カモフラージュ』している
★「脅威の才能」を燃焼させながら、健常者としての日常をこなさなければならない「負荷」と「矛盾」から『才能が向かうベクトルを守って』いる
★「命を削って才能を輝かせる」ことに対する「魂の燃焼」のバランスを保つため ⇒「命(寿命)」を守っている
★ 「脅威の才能」が発揮される過程でついてくるであろう「成功」に対して、健常者であればいずれ抱くであろう「欲望」や「傲慢さ」から、「才能を持つ者の魂」を守っている
★ 健常者を縛る「常識という呪縛」から完全に自由になり、「脅威の才能」をためらいなく放つことができるようにしている
そして
★「驚異的な才能」を背負う者に課せられた「孤独」に打ち勝つための「永遠に純粋な心」を守っている
ような気がしてならないのですね。
そのために、特に「2E(Twice Exceptional、二重に特別な存在)型」のギフテッドのような才能を持った人達に関しては、
「障がい」という「枠」を、「脅威の才能」と一緒に「セット」で神様から与えられているのではないか
と思うわけです。
「障がい」によって、「脅威の才能」を持つ者の「命」「魂」そしてその「脅威の才能自体」が、あらゆる状況・事柄から「守されている」と考えると、
その人に与えられた「障がい」が、また違った意味を持ち始めるような気がしてなりません。
私は、先ほどの
でもお話していたように、常日頃から
★「才能を持つ者」は、神様から課せられた、この世の中全体を「啓蒙」するための「特別なミッション(使命)」を与えられている
と考えています。
そのミッション(使命)を遂行しながら、多くの人々に「良い影響」を与えるために、
「正しい絶妙な場所で」「正しい絶妙のタイミングで」「正しい絶妙の対象に対して」のみ、
ピンポイントでその「脅威の才能」を「瞬間的に発揮」させることが神様から求められている。
だから「才能」と「障がい」とを『同時に』与えられている。
そして結果的に、そのことが「本人の才能」と「本人の命」とを守る『枠』になっている。
こう考えると、
「常日頃」から「どの場所でも」「どの対象に対しても」手あたり次第に「発揮」させてはいけないのが「脅威の才能」
なのかもしれませんね。
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