読者の皆さんはもうご存じのことだと思いますが、私の本業は「特許関係」のお仕事です。
以前のブログやこの『運ラボ』でも、ごくたまに登場することがあったかもしれませんが、
はるか昔、私には、この「特許関係」の分野で『師匠』というものがおりました。
私も既に独立して久しいので、現在は師匠に直接教えをいただく立場ではなくなってしまいましたが、
この師匠が、当時からこの分野の権威にして、同時に
「超スパルタで有名」なこわ~いお方
で。。(苦笑)
もちろん、その「懐(ふところ)」は大変に温かく、器も大きく、また非常に頭の良い、稀に見る知恵と知性を備えた方で、
業界で最も卓越した「指導力」の持ち主の一人として、一目も二目も三目も置かれるようなお方でした。
しかしその一方で
弟子たちからは超絶恐れられていた存在
でもありました。。
私は、その師匠の第7期あたりの「最も出来の悪い弟子の内の一人」でありました。
師匠には当時、第1期生から私が弟子入りした第7期生までの間で、既に約140人くらいの「特許専門家の卵たち=弟子」がおり、
私の第7期あたりが最も弟子の数が多かった時期で、
第7期生で45人くらいの弟子たちが、日々切磋琢磨しながら、師匠の元で学んでおりました。
当時、「特許」の分野はまだまだ「理系出身者」優先の世界で、
特許専門の弁護士、弁理士、特許技術者、特許翻訳者、特許調査士等の「特許の専門家」で
文系出身者はかなりレアな存在
で、
私はその数少ない「レアな文系(しかも)女子」として、45人程の第7期生の中で常に「最下位争い」をしていた
「かろうじて44番弟子」
でありました(笑)。
(*その後、紆余曲折の末、無事に「理系」に転向を果たしました。)
師匠のスパルタ訓練は、それはそれは厳しいもので、
ガチの理系出身者の先輩弟子ですら、そのあまりにもハードなスパルタ式特訓に音を上げてしまう方も続出しておりました。
私が「文系出身女子」であったのにもかかわらず、奇跡的にも初期の段階で脱落することなく、かろうじて生き延びる(?)ことができたのは、
おそらく
「師匠の言っていることの四分の三も理解できていなかったがゆえ」
だったのではないのか、と、今思い返すと大変恥ずかしいです(冷汗)。
ガチの理系出身の先輩弟子の方々の多くは、師匠の超スパルタ特訓に「リアルタイム」で限りなくついていっておられました。
凄いことだと思います。
「リアルタイム」で限りなくついていくのと、言われていることの四分の三も理解できていないままその場に居続けるだけなのとでは、その消耗度も「雲泥の差」だから、ですね。。。
なので、自分よりも「はるかに高いレベルの次元」で切磋琢磨し続けている先輩方こそが「本当に音を上げる」気持ち、今だからこそよーくわかります。
師匠はそれはそれは厳しいお方でしたが、師匠の方から弟子を「切り捨てる」「見切りをつける」ということは一切しないお方で、
弟子がついてくる限り「どこまでもスパルタレベルを上げていく」という、血も涙もないお方だったため(笑)
弟子自らが「脱落」しない限り、「師匠から学ぶ機会」を失うことも奪われることもなく、
「血」と「涙」はありませんでしたが、そこには、たしかに「師匠の愛」がありました。
その『師匠』が「格言」のように、常に弟子たちに言い続けていていた言葉があります。
「お花畑スキップはいますぐやめろ」
というものです。
「特許」や「科学技術」と「お花畑スキップ」との間に、一体何の因果関係があるのかどうしても理解できなかった私は、
その「格言」が放たれる度に、諸先輩方や他の同期たちが雷⚡にでも打たれたかのようにその表情を一変させるのを、ただただ見ていることしかできずに、焦りまくっておりました。
何度も何度もこの「格言」が師匠の口から出てくるたびに、一人、また一人と、雷⚡に打たれていく。。どんどん雷⚡に打たれていく人数が増えていく。。。
いつになっても、いっこうに雷⚡に打たれない私の焦りは極みに達しましたが、とうとう最後の最後まで雷⚡に打たれることはなく、(当然のことながら「それ」だけの理由ではありませんが)、ついに「44番弟子の座」を降ろされて、最終的にやっぱり「ビリ(45番)」になったのでありました。反省。
さて、
師匠の言う
「お花畑スキップはいますぐやめろ」
というのは、要は
「いつまでも『夢見る夢子ちゃんでいる』のをやめなさいよ」
ということなのでした。
みなさん、おわかりになりますでしょうか?この意味。。
「お分かりになる方には一発でわかるもの」なのでしょうね。
これから特許の専門家、科学技術全般分野の最先端の部分を常にアップデートしていくプロフェッショナルになろうとしている「専門家の卵」たちに、
「いつまでも『夢見る夢子ちゃんでいる』のをやめなさいよ」
と、師匠が「言い続けていなければならなかった」意味。
これ、今だから私もようやくのこと理解できるのですが、
物凄く重要な本質を突いた言葉
だったんですね。
これは、本当に年齢・性別・経歴にかかわらず「見る人から見れば一目瞭然」らしいのですが、
どの分野にも「現実を生きていないような感覚の方」が一定数おられます。
本当に「どの分野にも」です。
驚くべきことに、それが「医師」や「弁護士」といった「士業の専門家」の方であっても、
また、経営者やその道のプロ、エキスパートといった「実業世界の花形」の方であっても、
また「教師」や「講師」などの「教育分野に関わる専門家」や、「介護」「衛生」「社会保障」といった「福祉分野の要」となる方であっても、
「現実を生きていないような感覚の方」が存在するものらしいのです。
ちょっと驚きですよね。
どの分野も、「現実世界(物質世界)で大きな義務と責任を負う分野・業種・職種の方達ばかり」です。
であるにもかかわらず、
「現実を生きていないような感覚」で「現実世界(物質世界)に対峙している」という「矛盾」
を、自分自身で抱え込んでおり、なおかつ「そのこと」が本人に見えていない。
この「現実を生きていないような感覚」でかろうじて世の中を渡っている状態であるにもかかわらず、
なんとなく「壁にぶつかること」もなく、
「そこまできてしまった」という人の「その後」
というのが、私も、最近になって、よくわかるようになってきてしまいました。
これは「怖いな」と思いますが、
これなんですね。「師匠が言っていたこと」って。
例えば、私がこの『運ラボ』で扱っている「運」というコンセプトは、
直接目で見ることができない事柄の「代表格」
みたいな分野です。
本業の特許で取りあつかっている多くの技術の中にあってさえ、
例えば「電子・電気」「熱力学」「電波・周波数」「光学」「素粒子」系の分野などでは、
「物質以外の形態」として「目には見えないが確実に存在している事柄」というのがあります。
「目には見えないが確実に存在している事柄」を応用することで
「事象」「現象」として科学技術を見ることができるだけ(温度、色、可視光屈折、ラジオ・テレビ音声/動画像etc)
なわけです。
その時、
●「夢物語的なスタンス」でその「事象」「現象」を捉えていては、大変に危険
です。
なぜなら、先ほどの「士業」や「実業界」「教育業界」「福祉業界」をはじめとした、かなり「使命や責任・重圧の重い」分野はもちろんのこと、
「現実世界(物質世界)」で生きていくために「生業(なりわい)」として職務を全うしていく時に、
「お花畑スキップ」しているレベルでは、本当に「夢見る夢子ちゃん」で一生を終えてしまいますよ
ということになるからです。
これは、その方が実際にたたき出している「実績」とか、到達している「専門性」とか、ましてや「収入の量」や、当然「携わっている分野」「業務形態」「勤務形態」「(個人事業主や自分でビジネスを構築されている方であれば)経営形態」に一切かかわらず、
★ 全ての人に言えること
です。
主婦業・主夫業であっても、子育てであっても、学業であっても、介護であっても、全く同じです。
もちろん、人はそれぞれ「独自のバックグラウンド」や「独自のエネルギー値(高い・低いに「優劣」はありません。「エネルギーの質が違う)ということです」を持っていますから、その「独自のバックグラウンド」や「独自のエネルギー値」なりの特徴を生かしつつ「駆使」して、
「目に見えるもの」「目に見えないもの」どちらの分野においてであっても、
★「しっかりと現実に生きる」というスタンス
で、目の前の物事にコミットメントして生きていったほうが、「人生」が後々しっかりと「陽転する」ことが多いということなのですね。
ちなみに、意識の上だけでも
★「しっかりと現実に生きる」というスタンス
を、少なくとも「30歳くらいまで」に自身の中に確立できないと、例えば、
▲ 離婚する「結婚カウンセラー」
▲ 園児を虐待をする「保育士」
▲ セクハラをはたらく「弁護士」
▲ モラハラで訴えらえる「監督」
▲ 医療ミスを隠す「医師」
▲ 干される「役者・タレント」
といったような現実的な「後々」に見舞われることが多いです。
それと補足ですが、これは先ほどもお話したように、
それぞれ「個人のバックグラウンド」と「個人のエネルギー値」に沿った「有り方」で、出来る限り「現実的に生きよう」という「スタンス」を、本人がしっかりと心得ることができれば、そのアウトプットの大小・レベルは関係ない
ので、あくまでも
「自分のできる立ち位置」で、「自分のできる範囲」で、そして「自分のできる努力レベル」で、そして「自分のペース」で『現実を意識』すればよいのです。そこに「他人との比較」は必要ありません。
「現実に生きることを意識する」ということを、自分に対するプレッシャーにしてしまうのではない、
もっと「おおらか」な感覚で、「現実に生きることを意識する」のがよいかと思います。
こうは書いてきていている私も、はるかその昔「お花畑スキップ」をしてしまっていたこともありましたしね(苦笑)。
でも現在は、「師匠の教え」を踏襲すべく、「運の研究者」として
「超・現実的に生きる」
ということを、ある程度実行できるようになっていますから。
「現実的に生きる」という意識と自覚を持つと決めただけで、いろいろ「広がって」いきますよ。
なお、先ほど「現実的に生きる決意をするのは、30歳くらいまでに」とは書きましたが、
あくまで「誰にでも30歳という年齢に起こる『運勢的な大転換期』」くらいまでにできておいたらいいよね、というお話であって、
現在が何歳であろうとも、「現実的に生きる」という意識と自覚を持つと決めることで、あなたの人生は「広がって」いきますよ。
(*なぜ誰にでも「30歳」という年齢に『運勢的な大転換期』が訪れるのかは、また別のお話で解説します!)
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