【誰も知らない『運と才能の秘密』⑧】~『影響力』が9割~一番大切な「良心としての才能」

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みなさん、こんにちは!

今日も、引き続き、【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズ第8弾です。

今回は、私が「運に関わる3つの才能」としてお話している才能のうちの3番目にあたる、

「良心となる才能」

について、解説していきます!

「良心となる才能」とは、

今までお話していきている「3つの才能」のうち、

1つ目の『コアの部分にかかわる才能』(限られた人が持つ『天才型』の才能)

2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』(私達誰もが持つ『秀才型』の才能)

この2つの才能をそれぞれ発揮する上での『「良心」となる才能』のことなのですが、

私は、この3番目の才能が、私達人間にとっては『一番重要な才能』だと思っています。

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『「良心」となる才能』とは、一体どういう才能かと言うと、

どんな時にも、自分が持って生まれた『才能』・自分が磨いてきた能力や『技術』を、「良い目的のために使う」ことに徹することができる才能です。要は、その人ならではの能力や技術を使う上で必然的に発生する

「他者への個人的影響」や「社会的影響」

に対しての「責任感」を、自発的に感じられるかどうか、ということです。

「才能」とは、望む・望まざるに関わらず、周囲の人達や環境に大きな影響を及ぼすことがあります。「才能」が作用することでそれが刺激となって、今現在は安定している状況が、良くも悪くも「変革」されることがあるからですね。

「良い目的のために才能を使う」とは、利己的な目的に自らの能力や技術を使うのではなく、自分の「才能」が作用することで、結果的に、関わる人や社会全体に『貢献』することになるような、才能の使い方です。

なぜなら、現実問題として、高い能力や技術を持っている人が、この『貢献』というコンセプトを理解できていないままでいると、本人の強い自己愛を満たすことだけにエネルギーを使うようになってしまうからなんです。

本人が自分の才能や高い能力を誰のためにどう使おうが、基本的にその本人の自由ですし、その基本的権利が当の本人にあることは確かなのですが、

私は、

才能や高い能力を与えられた人には「社会的責任がある」

と思っています。

その「責任」とは、人並み以上の才能や能力を与えられた人は、その恩返しとして世の中に『貢献』するという姿勢を持つべきだ、ということですね。

実際、才能を使って世の中に『貢献』したほうが、自分自身の才能をより有意義に生かせるし、自分自身が多くの人の役に立っていることに対する幸福感や至福感も違ってくるはずです。

『貢献』とは、『WIN-WINの関係』を常に念頭においてベストを尽くしていく

ということでもあるのですが、

『WIN-WINの関係』を構築していくのにはとても責任が伴うんですね。それが個人であっても、所属する団体であっても、社会全体であっても、いずれも「相手あってのこと」だからです。

この、『才能』を使っていくときの『責任』というのは、「義務」という意味での責任ではなく、「自発的な責任感」であることが好ましいですね。

要は、

『自分の才能をミッション(使命)として捉えられるかどうか』

ということに尽きると思います。

なぜなら、与えられている類まれな才能や高い能力を、自分の『ミッション(使命)』としてしっかりと生かして伸ばしていく、という責任感があるのとないのとでは、ずっと謙虚に学び続ける姿勢や、世の中に貢献できる実現度が大きく変わってくるからです。

逆にこの「責任感」がないまま自らの才能に溺れてしまうと、「才能が暴走するリスク」も高まります。「責任感」が欠如した状態だと、『才能』と『人格』のバランスが取れなくなるからですね。実際に、『才能』溢れる人達がその才能に驕ってしまった結果、「落ちて」いってしまうようなことはよく起こります。『貢献』という意識が欠落していることにより、多くの人からの支持が次第に得られなくなっていくからなんですね。

更に、『「良心」となる才能』を持ち合わせていない人が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』や2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』の突出した能力部分だけに溺れてしまい、『貢献』という意識が欠落してしまうと、それを『利用』してこようとする存在が現れてくる、というのも忘れてはなりません。

例えば、詐欺師などに代表されるような「人格障害系」の人物が、その『才能』を悪用しにかかる、ということが起こってくるのです。常に損得で生きているような「自己愛性人格障害者」系の人達などが典型ですね。

もちろん、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人を、そういった人格障害系の人達が利用しにかかる場合がほとんどですが、稀に、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人自身の「自己愛」が「肥大」してしまって、人格障害系の人達と同じような行動をとり始めてしまう場合もあります。

この場合は、本来『才能』に溢れていたはずの「天才」や「秀才」が、誰か別の人にとっての「詐欺師」に身を落としてしまうようなことも起こり得ます。これこそ「才能が悪用される典型的なパターン」ではないでしょうか。

また、良心を持って才能を使いこなそうとすれば、必ず何らかの形で社会に貢献でき、自分自身も心の平和や生きがいなどの幸福感を得続けることができるのですが、

その『良心となる才能』が欠けて、突出した才能部分だけが暴走した結果、世の中からの正当な評価を得ることができずに自分の世界に籠るようになってしまう人達も、歴史上ではかなり存在していました。こちらは「才能が埋もれてしまった典型的なパターン」ですね。

才能を、自分のためだけに使おうとすればするほど、人は「孤独」に陥っていきます。

「その才能の持ち主が、幸せな形で才能を開花させることができるかどうかの『分かれ目』」

とも言えますね。

通常、『良心となる才能』というは、特に「共感性」や「感受性」が強い、相手の立場になって考えることのできるタイプの人達には、天性的に備わっているものです。

「共感性」によって、自分以外の人にも思いや願いがあるということ、

「感受性」によって、相手の欲しているものが即座にわかるということ、

この感性は、本人の能力や才能を伸ばして生かす上での「強力な武器」になるのです。

芸術的才能であっても、学術的才能であっても、ビジネス的な才能であっても、その「才能」が際立つのは、その「才能」が

社会において、他者の役に立つ

時なんですね。

その時初めて、「才能」は強力な意味と意義を持ちます。

つまり

「影響力」

です。

世の中に対する強力な影響力。

個人の中で「才能」が完結しているだけの状態よりも、才能が『貢献』に向かった時のほうがその威力は何倍にも増加します。

なぜ沢山の人達が、「才能」に憧れたり、「才能」に大きな価値を置いているかというと、この

「影響力」

のためなんですね。

「役に立つ」ということは、実に強力な「影響力」なんです。それもとてもポジティブな。

だから、私達は、「共感性」や「感受性」を育みつつ、いつも自分の持てる能力を「役立てる」という意識を持っていたほうがいいのですね。結果的にそのほうが、「自分本位」であるよりも何倍も成功しやすいのです。

逆に「自分本位」である人というのは、能力的・才能的なことだけに限らず、あらゆる場面・事柄において「自分本位」で判断したり行動したりするために、意識が「自分が得をすることだけ」に向きやすい。だから「影響力」を発揮できない。できたとしても「本物の影響力」ではなく、威圧だったり、ごり押しだったり、忖度による「押し付けの影響力」に留まるのですね。相手がプレッシャーを感じるような利己的な影響の与え方しかできません。

わかる人にはわかってしまうから。

私がよくこのブログでお話している

「WIN-WIN」

にしてもそうです。

誰もが魅了される「本物の影響力」というのは、この

「WIN-WIN」

により発生するものなのですね。

「あなたが勝つことによって、私まで勝ってしまう」

この、なんとも言えない誰もが嬉しいポジティブな展開こそが、真の

「影響力」

なのですね。

『影響力』はとても威力があります。

『影響力』は沢山の人や様々な状況・環境に絶大な「刺激」を与えて、物事に「変革」をおこしてしまう力があります。

人の考え方を変えてしまったり、既存のルールを変えてしまったり、トレンドや慣習さえ変えてしまう力がありますよね。『才能』が世の中の役に立つことによって、今までよりももっと「良い方向」に流れを変えることができる。

それが、人々や社会に『貢献』することができる一番大切な「良心としての才能」の凄さです。

自分のできる範囲から、自分の能力や才能を見つけて生かし始めようとする時、是非このことを覚えておいてくださいね!

『才能』は神様から与えられたギフトです。ギフトであり同時に「使命(ミッション)」ですからね。世の中にお返ししましょう。

【編集後記】

少し前のブログ記事で、運に絡めて「IQ・EQ」についてのお話をしているのですが、

読者の方から質問をいただきました。それは、

『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?

というものです。

一般に、私達の平均IQというのは100前後なのですが、

例えば、学校などで成績が良かったり、子供・大人問わずに利発な印象を受けるのは、だいたいIQ112~115くらいの人達です。

東大生の平均IQが120くらいだとも言われていますね。

前々回のブログで「ギフテッド」についてもお話していますが、ギフテッドは飛び抜けている分野と不得意な分野との落差が激しいために、パフォーマンスとしての優秀さが他者から見えにくいものの、彼らのIQは130~135以上と言われています。

IQが130を超えるのは、人口全体で約2%だそうです。それでも、40人クラスで1人は存在しているということになりますよね。

その中で、大人になってから社会的に成功しやすい人のIQは

115~120

が多いんだそうです。

それ以上のIQの持ち主である場合、もちろんズバ抜けてその優秀さを社会に役立てることができている人達も、もちろん一定数いますが、逆に、

「IQが高すぎることによる弊害」

「IQが高すぎることによる苦労」

に苛まれてしまっている高IQの人達もたくさんいるのだそうです。

では、なぜ、人口の2%を占めるIQ130超えの人達の中で、社会で成功しにくい人達が出てきてしまうのか。

理由は2つ考えられます。

1つ目が、「IQが高すぎること」により、「一般的な人の感覚がわからなくなる場合がある」ということです。

一般的に、IQは高いほうがよいように思われますよね。ちゃんと高IQを生かしている人達は沢山います。しかし、そもそもIQの代表的指標とは

「パターン認識能力と論理的思考力」

のことですよね。

もちろん、高IQの人達が持つポテンシャルと能力の種類はこれだけではないのですが、特にこの2つの能力に優れているのが高IQの持ち主です。でも、これが「高すぎる」とどうなるか。

「高IQの人は、そうでない人が彼らと同じようには『理解できない』ということが理解できない」

という現象が起こってくるわけです。

「パターン認識能力と論理的思考力」が高いと、複雑で難しい事柄を、簡易的に考えることができます。

どういうことかというと、例えば、

事実→分析→仮説→検証→結論・問題解決

という段取りで、高IQの人達が頭の中で考えたことの内、

事実→(分析→仮説→検証)→結論・問題解決

のように、(分析→仮説→検証)の部分を省略して

事実結論・問題解決

でいきなり結論・問題解決をやってのけてしまいます。

彼らにとっては「説明をすっ飛ばしている」というだけで、ちゃんと(分析→仮説→検証)できているのですが、

いきなりそれを聞いたり目にしたりした普通のIQレベルの人達にとっては、全く理解できません。

また、高IQの人達は、科学的証拠があれば、それを頭の中で即座に「検証」できてしまうため、その「検証」部分をいちいち人にわかりやすく伝えたりする必要性を感じないことが多いのです。彼らは「抽象化」が得意なため「答え」や「本質」が「わかってしまう」ために、具体的な事象を必要としないのですね。論理的過ぎて、理屈上不要な事柄を「試行の無駄」として排除してしまう、という傾向を持っています(あくまで「傾向」です)。

多くの人にとっては、具体例を挙げてもらったり、詳細を逐一説明してもらったり、問題の「流れ」を時系列で一から説明してもらったほうが、当然「わかりやすい」わけです。それは、「具体例が、問題の内容の理解を促進する」からなのですが、高IQの人達は「理解でき過ぎてしまう」ので、逆にそのことが「理解できない」という、実に逆説的なことが起こってしまうというわけです。

勉強のできすぎる子が、勉強が苦手な子の気持ちが「理解できない」

仕事のできすぎる人が、よりマイペースな仕事のやり方を好む人の気持ちが「理解できない」

料理や家事が得意すぎる人が、そうでない人の料理や家事に対する気おくれが「理解できない」

ということになってくるわけです。

そうすると、社会的生活や活動において、いろいろと不協和音が出てきます。ある程度の協調性が必要とされる場面で孤立してしまうこともあるでしょうし、高IQでも出世できないとか、ビジネスで顧客のニーズがつかめないとか、そういった「弊害」がでてくるわけです。

ここで、少なくとも「共感力」があれば、その高IQの人は、そうでない人達の気持ちや立場を「想像することはできる」となりますね。

ここが、

『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?

の分かれ目の1つだと思います。

また、IQ130超えの人達の中で、社会で成功しにくい人達が出てきてしまうの2つ目の原因が、高IQの場合、突出した能力の影でその他の能力が大きく欠如している

ということが考えられます。

あまりにも突出したある特定の能力に脳の機能が全て使われてしまい、別の能力が犠牲になってしまっている、とうケースです。

例えば、

空間認識能力や数学能力が高すぎるが、文章を読んだり書いたりするのが苦手である、とか

音楽や絵画の能力が突出しているが、計算が苦手である、とか、

言語能力や語彙能力が著しいが、全く地図が読めない、とか、

学主能力はとても高いのに、精神年齢がとても引く印象を受ける、とか(その逆もあります)

本来バランスよく脳の各部分が機能するばずなのに、高いIQ故に、ある特定の部分に脳の労力が集中してしまっている結果、

「得意なことと苦手なことの差が激しすぎてしまう」

というパターンがとても多いのですね。

難しいことはよくできるのに、逆に簡単でシンプルなことがなぜか苦手、とか、普通の人ができないことがよくできるのに、なぜか普通の人が容易にできてしまうことこそできない、とか、とても「アンバランス」なパフォーマンスを見せる高IQの人達も沢山います。

この「アンバランスさ」が、高IQなのに社会で成功しにくい人達が出てきてしまう要因の2つ目なのですね。

だから、この場合、やはりアンバランスさを持っているパターンの高IQの人達は、その「特化した分野の能力」を生かせる環境を追求していくことが成功への近道ですし、逆に自分に合った分野に進めている高IQの人達は、大きな成功を収めることができていると思います。

平均的なIQを持つ私達のほとんどが、高IQの人達に合わせるのも至難の業ですが、

130超えなどの高IQの人達にとっても、「そうでない人達に合わせる」ことは非常に大変なことなのですね。

だから、

『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?

は一理あり得ます。

でもそれは、やはり、高IQであってもそうでなくても、

自分の特性というものを熟知して、常にどの分野・どの環境で勝負していくかを見極める姿勢

でいることが大切になってくると思います。

これは、平均的なIQを持っている私達にとっても、実は同じことが言えますよね。自分の今ある能力を精一杯生かしていくのであれば。

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ジャミ―ロ

ジャミ―ロ

『運は自分でコントロールできる!!』ことを証明すべく「運を科学的に捉えてみる」という研究活動をしてきた「運の研究家」。「意味のある幸運な偶然の一致」をテーマに、フローやシンクロニシティ、プランド・ハプンスタンス理論といった、誰もが幸運の流れにのってハッピーに生きる方法を、20年にわたって研究中。

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