★完全保存版‼★【エナジーバンパイアの真実㊸~対策編⓯】恩着せがましいエナジーバンパイアの対処法

エナジーバンパイア対策

みなさん、こんにちは!

★完全保存版・徹底解剖‼★【エナジーバンパイアの真実】シリーズ第43弾です。

このテーマでは、私達が「本物の強運の持ち主」になるために避けては通れない障害である

高い生命エネルギーを持つ人から、その運やエネルギーを横取りして奪う

「エナジーバンパイア(エネルギーバンパイア)」

について、

その特徴、

その危険性、

その個人&世の中に対する被害的影響、

彼らから、自分の大切な運やエネルギーを守り抜く対処法、

今後彼らから絶対にターゲットにされない具体的方法、

等を、

スピリチュアル的な観点からだけでなく、

心理学、

脳科学、

人間行動学、

人間関係論、

物理分野の量子力学、

のあらゆる科学的観点から、

数回に分けて、かなり突っ込んでお話していくシリーズです!

今回は、その第43弾、

私達から「運」や「エネルギー」を奪う「エナジーバンパイア」から身を守り、悪影響をできる限り回避して、

今まで奪われてきた「運」や「エネルギー」を徐々に取り戻すための

「実践編」、

~エナジーバンパイアの真実~傾向と対策編~

の⓯、

恩着せがましいエナジーバンパイアの対処法

と題して、

「自分自身のエネルギー漏れ」

「意図しないエネルギーの移動」

これらに気づき、そのエネルギー漏れを止めて、エネルギーを移動させないための予防措置をとる

という段階について、お話していきます。

~傾向と対策~実践編は、今現在においてわかっていることを中心にまとめていきますが、

今後、新しい情報や効果的な方法が発見され次第、随時アップデートしていく予定です。

【前回の記事】

【エナジーバンパイア関連・過去記事一覧】

現在構築中の、この

「運に関する総合プラットフォーム」=『運ラボ』

ですが、

 

だいたい外枠が出来上がってきました!

(まだ「外枠だけ」です・苦笑)

このブログ記事を組み込みながら、読者の方が使える

★「運に関する基本情報」

★「運をスピリチュアルに捉える考え方シリーズ」

★「運を科学的に捉える考え方シリーズ」

★「運について学ぶツール」

などをベースに、窓口を多岐にわたらせています。

読者の方が、自分の状況やペースに合わせて読み込んだり学んだりできるように、

個々のユーザが自分のアカウントにログインできるような仕組みも考えているのですが、

そこまで行きつくかわかりません(笑・そういう方向で進めてはいます)。

オープンしても、その都度プラットフォームはアップデートしていくつもりなので、永遠に完成しないでしょう(笑)。

iPhoneやMacの『Apple社』のロゴの林檎『🍏』ではありませんが、

🍎 永遠に完成しない=『永遠に成長し続ける』

ようなプラットフォームにしていけたらと思っています!

つまり、必要に応じて、TOOLや教材や、「運」というものを、もっと多角的な視点から球体思考で捉えた情報を、どんどん追加していく

ということです。

なので、ある日突然「メニューバー」も増えているでしょうし(笑)、

ある日突然「サイトの中に新たな分野のサブ・サイト」も増えているでしょう(笑)。

全記事一覧シリーズで公開する『運に関する情報』は、およそ「3割」程度

『その奥の確信部分やもっと掘り下げた情報(TOOLや教材・サブサイト)』に関しては、およそ「7割」程度

の割合で、

今後どんどん『成長』させていくつもりです!!

さて、引き続き「エナジーバンパイア・シリーズ」の本題に今回も入りますが、

エナジーバンパイアには実に様々な「種類」があります。

まるでコロナウイルスのように、どんどん「変異」もしていきます。

見るからに人を利用してそうなエナジーバンパイアで、最初から関わらないように防御線を張ることが出来そうなのもいれば、

見るからに人が良さそうで信用できそうなタイプもいます。とてもエナジーバンパイアであるなんて信じられないようなタイプですね。

自分が、ターゲットからごっそりと運やエネルギーを奪ってやろうと「自覚」しているエナジーバンパイアもいれば、

自分は「素晴らしい善人である」と心底思い込んでいて、全く無意識に、何の悪気もなく、平気で大量の運やエネルギーをターゲットから奪っていくエナジーバンパイアもいます。

いずれにしても、長年彼らエナジーバンパイアのターゲットにされてしまっている人にとっては、もう混乱の極みです。

既に「ありとあらゆる種類のエナジーバンパイア」に、入れ代わり立ち代わり搾取され続けている人もいれば、

「ある一定の傾向と特徴を持ったエナジーバンパイア」に毎回悩まされている人もいます。

その中で、今日は、人口的にかなり多い種類のエナジーバンパイアである

「恩着せがましいエナジーバンパイア」

について、少しお話してみようと思います。





「恩着せがましいエナジーバンパイア」ですが、

恩着せがましい人、というのは、世の中にいくらでもいますよね。

つまり、

「善意=自己満足」になってしまっている人

のことです。

普通、親切にしても、思いやりにしても、「善意」とは

「相手が望むこと・相手が欲すること」を、相手の状況や立場に立って、相手が望むタイミングで行うこと

です。

これが本物の「善意」です。

相手は、当然このような全面的に相手の立場にたった親切や思いやりに、初めはビックリしたり戸惑うかもかもしれませんが、かなりの確率、このような「本物の善意」には感謝してくれるはずです。

これが「WIN-WIN」の構図になっていれば、なおのこと。

しかし、

「恩着せがましい人」というのは、「自分が望むこと・自分が欲することを、相手の状況や立場を無視して、自分が望むタイミングで行い」、なおかつ「一方的に感謝を要求する」

んですね。

もしかしたら、相手にとって「ありがた迷惑」になっているかもしれないことに対して、相手から思うような「反応」や「感謝」が帰ってこないと、むしろ「逆ギレ」したりする。

相手は、望んでもいないアドバイスや、必要ともしていない手助けを無理やり押し付けられた挙句に、その恩着せがましい人に意識を集中するよう強制されて、その恩着せがましい人が望むような「反応」や「感謝」と一緒に「エネルギー」もごっそり持っていかれて、非常に後味が悪く、不愉快な気持ちにさせられる。

一方、「恩着せがましい人」は、一方的に恩着せがましく「恩」を押し付けていき、更に相手から「エネルギー」をごっそりと奪って大満悦です。

「恩着せがましい人」にターゲットにされた相手は、非常に後味悪く、不愉快な気持ちにさせられた挙句に、「恩も着せられる」

のです。

物凄い「違和感」に苛まれます。

さて、「恩着せがましい人」の意図はこれです。

私がこれだけしてあげたのだから、さあ今度はあなたの番だよね。

▲ 代わりにあなたは私に何をしてくれるの?

▲ お礼として、あなたの「運」や「エネルギー」をよこしなさい。

▲ 助けてあげている私のほうが「上」。

▲ あなたは私がいないと何もできないから、私に従っていればいいの。従いなさい。

「恩着せがましい人」に共通する、彼らの深層心理はこれなんですね。

これをやられたターゲットの人は、非常に後味が悪く、ひたすら不愉快な気持ちにさせられるのですが、これも、

「恩着せがましい人」の「恩着せ」というのが、とどのつまり

✖ 相手を利用している

ということだからなのです。

何のために?

はい。

自分の承認欲求を満たすため

です。

そして、

✖ 「恩」をたてに、「支配-被支配の関係」に持っていくため

です。

「恩着せがましい人」の承認欲求を満たすため、彼らにエネルギーを奪わせるため、「支配-被支配の関係」を構築させるために、「自分が利用されている」と心の奥底で感じれば、誰だって後味悪く、不愉快な気持ちにさせられますよね。

また、「恩着せがましい人」の「恩着せ」の意図が、利他に基づくもとではなく、あくまで「自分を満たすため」という利己的な目的であるために、彼らは

✖ 返報性の法則を悪用している

といういことにもなります。

「返報性の法則」とは、簡単に言うと、「何かをしてもらったら、お礼としてお返しがしたい」という、私達人間のごく自然な感情が働く、というものです。

「返報性の法則」はとてもシンプルなものですが、これほど「性善説」に基づいた法則はないかもしれません。

なぜなら、「善意を善意で返す」ということが、そのまま直接「WIN-WIN」に繋がる可能性がとても高く、また、してもらったことに対して、自然に「感謝」や「謝意」を伴ってお返しをする、ということがほとんどなので、我欲や変な意図が入りづらいからです。

でも、これを悪用するのが、「恩着せがましい人」。

「恩着せがましい人」は、その程度の差はあっても、十中八九が「エナジーバンパイア」です。

ただ、誤解していただきたくないのが、

とても「おせっかい」な人であっても、またその「親切」や「手助け」の度が過ぎていると感じられる人であっても、更にはその「親切」や「手助け」が「的を得ていない」がために、結果的に相手を困らせてしまったり、相手に不愉快な思いをさせてしまうことが多い人であっても、

それは「不器用」なだけで、あくまでも

「相手が望むこと・相手が欲すること」を、相手の状況や立場に立って、相手が望むタイミングで行うとしている人

である場合、また、

決して、恩を着せて支配-被支配関係に持ち込もうとしているわけではない人

である場合、

こういった人は「エナジーバンパイア」ではない、ということです。

文章で書くと伝わりづらいかもしれませんが、実際には、エナジーバンパイアのターゲットにされて苦しんでいる人達には、この「違い」はしっかりと感じ取れるはずです。「違和感」がものを言いますから。

しかしそれでも、この恩を着せてくる「恩着せがましいエナジーバンパイア」というのは厄介です。

強引に恩を着せてくる超絶鬱陶しいタイプ(苦笑)のエナジーバンパイアもそうですが、

✖ 一番厄介なのは、いかにも良い人・人格者のフリをして、「静かに恩を着せてくるタイプのエナジーバンパイア」

です。

こういうタイプは、人間関係が始まった初期の頃には、たとえ百戦錬磨のターゲットの人であっても、ほぼ見抜くことができません。

こういうタイプのエナジーバンパイアが職場の上司であったり、配偶者であったり、親友であったりすると、その人間関係の構図上、ターゲット側の傷が深くなる恐れがあります。

わかりますよね。

全くの赤の他人が「恩を着せてくる」よりも、自分のごく身近な人間関係や、社会的立場で上下関係にある人間関係で「恩」を着せられる、又は「善意の押し売り」をやられ、混乱しながらも断れずに「支配-被支配の関係」に持ち込まれると、確実に傷が深くなってしまいます。

ちょうど、

● モラハラの構図

● マウンティングの構図

とよく似ていますね。

「強要してしまえば、それはもう善意ではない」とうことは頭ではわかっていても、

こういった、濃い人間関係や上下関係が絡む人間関係でこれをやられ続けてしまうと、

ターゲットはがんじがらめになってしまいます。

ターゲットを支配するために、その本人を、その本人の意思に反して「変えようとする」わけですから。

✖善意による支配

✖善意によるマウンティング

✖善意による搾取

ということですね。

間というのは、自分の意思に反して、その「思想」「考え方」「信念」「行動」などを変えるように「強要・強制されること」を、非常に嫌います。これは当然のことで、人の意思が尊重されること、というのは

★「基本的人権に関わること」

だからですね。

(*もちろん、その「意思が尊重されること」は「基本的人権」ですが、その「責任」は「基本的人権に対応する義務」でもありますので、私達は家庭や社会でその「義務」を果たそうと頑張るわけです。)

すこしオーバーな言い方かもしれませんが、「恩着せがましいエナジーバンパイア」というのは、まさにこの

✖ ターゲットの基本的人権を侵害している

くらいの、負のインパクトがあります。

それも、間接的な、陰湿な手口で、です。






【~「ターゲットを支配しようという意図」が有り有りだから「恩着せがましく」なる~】

「善意」に見せている言動の裏に、

▲「相手(ターゲット)は自分の言うことを聞いて当たり前」

▲「相手(ターゲット)は自分に感謝して当たり前」

▲「私には相手(ターゲット)を支配する権利がある」

▲「私は相手(ターゲット)よりも『上』である」

といった気持ちや意図が隠されているのであれば、それは、

✖ 相手(ターゲット)を自分の思い通りに動かそうとする「支配欲」の表れ

です。

当然、相手(ターゲット)は、そのエナジーバンパイア達の支配欲から逃れようとして反発・拒絶することもあるでしょう。それが普通です。

しかし、「恩着せがましいエナジーバンパイア」は、その相手(ターゲット)の当然の反発・拒絶がその相手の「当然の権利」であることを完全に無視して、

相手(ターゲット)を「裏切者」扱い

してきます。

そうです。

「恩を仇で返してきた」

と。

恩着せがましく恩を着せてきて「支配」しようとし、

もし相手(ターゲット)がそれに違和感を抱いて反発・拒否の動向を見せようものなら、

被害者ヅラしてこちらを加害者扱い

です。

本来、

★「誰かに何かをしてあげる」「何かを与える」ということは、相手に利益をもたらすことが前提

なはずです。

他人を利用して自分の承認欲求を満たす、自分の(偽りの)正義感を誇示する、そして相手から「エネルギー」を奪うために「恩」の概念を悪用するというのは、道徳的にも、スピリチュアル的にも、そして「宇宙の法則」の観点からも、超絶卑怯なことなのです。

また、「エナジーバンパイア」でなくても「恩着せがましい人」というのは、ある意味、他人から「エネルギー」を奪っている、ということにもなります。

その「恩着せがましい人」にはその人なりの「正義感」とか「信じる事柄」があるのでしょう。

しかし、もし相手に親切にしたい、相手を助けたい、という気持ちで何か行動に移そうとする場合、

相手には相手の事情、状況、考え方、そしてタイミングというものがある

ということを、前提にしなければなりません。

そして、

相手の目線に立ち、単純に相手が望むこと・求めることにフォーカスして与えることを第一に考えていれば、その「恩着せがましい人」が一方的に信じている「正義感」や「信念」や「期待」などの出番はないはず

なのです。

つまり、

★ 相手の立場や状況に立って、相手が望むこと・求めること・欲することを十分理解して上で、相手が望むような事柄を相手が望むタイミングでやってあげようとした結果、相手が喜んでくれた。相手が感謝してくれた。

★ そして自分から謝意を要求するようなことも一切ない。

★ 相手が満足してくれて、結果的に自分も心底満足できた。

これが、

本当の「善意」

です。

その本当の「善意」は、結果的に後から満たされることになる

のですね。

「本物の善意」とは、自分が満たされるためにするものではない。

しかし、「自分」が良いことをしてあげた!相手が欲することがすっぽり抜け落ちてるのに、「自分がしたいこと」を相手に押し付けて、感謝を要求して承認欲求が満たされる。

これは「善意の押し付け」です。

先ほどもお話しましたが、

人にはそれぞれ「事情」がある

ものです。

周りから見て元気に過ごしているように見える人でも、

もしかしたら、もの凄い悲しみや怒りを抱えているのかもしれない。

泣くことも笑うこともできないような状態が、今の相手なのかもしれない。
何もかもが、「それどころじゃない」と、いっぱいいっぱいになっているのかもしれない。

そんな相手の事情や状況を一切無視して、「善意を踏みにじるのか」「恩を仇で返すのか」と、相手に感謝や罪悪感を迫るような有り方は、実際にエナジーバンパイアではなかったとしても、完全に「エナジーバンパイア予備軍」です。

「善意の押し売り」「恩着せがましく感謝をせまる」こと自体、相手にとっては悪意そのものになってしまうという危険性があるのですから、そのことをちゃんと理解し、

自覚できる「最低限の品性」くらい持てるよう、「恩着せがましい人」にはどこかで気づいてもらいたい

ものです。

先ほどもお話しましたが、

私たちは、自分の「思想」「考え方」「行動」「振る舞い」「自分のことは自分で決める」などを自分で決める権利を持っています。そしてこれは、先ほどの「基本的人権」であるし、同時に私達一人一人の「尊厳」です。

「強要する」という言葉がありますが、

これは、本来であれば他人に対して「善意」の意図的な働きかけを行うことで、その人を「望ましい方向へ」と導いて変化させつつ、その行動や決定を、その本人の意思を尊重しながら完全に本人に委ねるのが「本物の善意」であるけれども、

もし、「善意」を働きかけた人の利己的な意図によって、その働きかけの結果、相手の心が壊れてしまうほどのネガティブなインパクトになってしまうようであれば、それは「強要」なのですね。

全ての人には、それぞれ独自の個性や事情や状況があるのですから。

また、「善意」だけではなく、

「他人からの期待」についても全く同じこと

が言えます。

「恩着せがましいエナジーバンパイア」も含めて、例えば「恩着せがましい人全般」が、

あなたの意に沿わないことであるのにもかかわらず、あなたに対して一方的に、あなたが必要以上に「相手の期待に沿うこと」をしつこく要求され続けたとしたら、あなたはどう思うでしょうか。

自分の意思、自分の主張を全て否定されているのに、相手からは「相手の期待に沿うこと」-例えば、思想や考え方を変えるように執拗に迫られる、意思に反したしつこく決定を迫られる、望まないことなのにひたすら要求し続けられる-ような扱いを受けたら、どう思うでしょうか。

これって、「自分が自分であることを否定されている」「自分の選択する権利や思想の自由を奪われている」「基本的人権を侵害されている」ということになりますよね。

★「自分の権利」って、要は「自分の境界線」と同じこと

です。

✖ 相手(恩着せがましいエナジーバンパイア、恩着せがましい人全般)は、要はあなたの「境界線」を侵している

のですね。

あなたの人権とか、選択する権利とか、思想の自由は全て、あなたのものではなく「彼らのもの」であると本気で思っている。

だから、平易で境界線を侵してくる。

いつも「境界線」のお話をしていますが、

ここでも、「境界線」がいかに重要であるかが強調されると思います。

やはり「境界線」を強く意識することは重要です。

だって、彼ら(恩着せがましいエナジーバンパイア、恩着せがましい人全般)は、自分が承認欲求を満たしたり、あなたから「エネルギー」を奪ったりしてひたすら「自分を満たす」ためだけに、あなたを利用しているのですから。

その「前提条件」として、自分達(恩着せがましいエナジーバンパイア、恩着せがましい人全般)が自分自身にしかたなくつけた「折り合い」を、一般論化してあなたに強要するんです。

例えば

▲「私が我慢したのだから、あなたも我慢しなさい」⇒「世間ではみんな我慢しているのだから、あなたも我慢しなさい」

▲「私が上手くいかないのだから、あなたが上手くいくなんて許さない」⇒「そんな夢みたいなこと、もう諦めて現実を見なよ」

▲「私が折り合いをつけたのだから、あなたも折り合いをつけなさいよ」⇒「長いものには巻かれなよ」

といった感じで、要は「難くせ」をつけるのですね。

自分の人生を自由に生きようとするあなたに対して。



では、そんな「恩着せがましい難くせ」を回避するために、どう「自分自身の境界線」を意識していけばよいのでしょうか。

それは、ひたすら

★ 自分の領域内で自分がコントロールできることのみに集中すること

です。 

★「自分の領域内」とは、自分がコントロールできる物事が揃っている範囲のこと

です。

例えば、わかりやすい例を挙げてみると、 

テスト勉強などで私達ができることは、ひたすらテストの出題範囲を分析して過去問を解き、十分な準備をして、当日テストで「ベストを尽くす」のみです。

一度テストを提出して私達の手を離れると、その結果を私達が自らコントロールすることはできません。

その後、テストが添削されて、結果がでるまで、「私達の領域」を離れて、私達のコントロール外の状況でテストは評価されることになります。

要は

★「人事を尽くして天命を待つ」という状態

ですね。

★ そこから先は「自分の領域外」になる

わけです。

「思想」や「心」の問題も全く同じです。

よくこのブログでも「自分軸」という言葉を使っていますが、

「自分軸で生きる」とは、まさにこの

「自分の領域内」にフォーカスする

ということになります。

これがそのまま「境界線」になっていきます。

つまり、

それがたとえあなた自身も問題であっても、他人の問題であっても、恩着せがましいエナジーバンパイアの問題であっても、

★「自分がコントロールできる範囲を超えた領域の問題」は全て、あなたが心を煩わせる必要のない事柄である

ということです。

しかし、「恩着せがましいエナジーバンパイア」達は、あなたに「自分軸」を放棄させて、理不尽な「他人軸」=つまり「エナジーバンパイア軸」で生きることを「強要」するわけです。

あなたができることは、これを

★ 堂々と、でも強く「拒否・拒絶」すること

なのです。

心の中で。

これが「境界線」なのですね。

相手(恩着せがましいエナジーバンパイア)からの、気持ちの悪い「期待」も同様です。

あなたが、相手(恩着せがましいエナジーバンパイア)の「期待」に徹底して応えないこと。心の中で。

これが「境界線」です。

(*会社や学校などの「組織」の中で、例えば上司や教師、先輩、親、配偶者等で、「社会的に立場的にが『上』の恩着せがましいエナジーバンパイアの場合には、その「社会的立場」を悪用して、パワハラ、モラハラ、マウンティング等で「気持ち悪い期待」をターゲットにぶつけてくる場合がありますが、この場合は、その「社会的立場を介した期待」に「応えないわけにはいかない」状況も多々出ますので、これはまた別の記事にて詳しく解説していきます。)

恩着せがましいエナジーバンパイアからの「強要」や「期待」を受け入れてしまって応えてしまったら、その時点で

あなた自ら「境界線」を開いてしまったことになる

のです。

あなた自ら「自分軸」を放棄してしまったことになる

のです。

たとえ、意に沿わないのに、無理やりそういう状況に持っていかれたとしても、

あなたが「境界線」を開いてしまう

あなたが「自分軸」を放棄してしまう

これは、結果的に

✖ あなた自らが「搾取の犠牲になること」を選択したことになってしまう

のですね。

だから、この点に関して、

✖ 宇宙に申し開きできなくなってしまう

のです。

結果、その通りに状況が進んでしまう。

(恩着せがましいエナジーバンパイアの思う通りになってしまう。)

宇宙は、あなたが自ら選択してしまったことを、そのまま実現するように動いてしまうので。

だから、

「境界線」と「自分軸」。

これだけは絶対に譲ってはいけないポイントになります。

逆に言うと、

「恩着せがましいエナジーバンパイア」に関してだけは、「境界線」と「自分軸」でなんとかなるパターンが多い

ということでもあります。

つまり、

自分でコントロールが効く範囲にある(ある程度自分自身で対処できる余地がある)ということです。

他の種類のエナジーバンパイアと比べれば、ですが。

それだけでも、結構な割合のエナジーバンパイアの被害を最小限に食い止めることは可能です。

それも自分自身の心の持ち方一つで。

少し意識してみると、できるようになりますよ。

まだまだ別の種類のエナジーバンパイアには、別の対処が必要ですが。

少なくとも、

★ エナジーバンパイアに対する「ある程度の免疫」

にはなり得ます。

明日から意識してみてください!





【編集後記】

~三次元・四次元の考え方を『二次元の文字・文章』で相手に伝えてくということの難しさと重要性~

ブログでも書籍でも、記事全般というのは、ある意味

二次元に近いコンセプト

なんだと思っています。

話している言葉を時系列で文字にしていく時、

頭の中で考えている言葉を、同じく文字にしていく時、

平面上に文字を重ねて文章を作っていきますよね。

ある時は右から左に、

ある時は上から下に。

そうすると、「ある1つのテーマ」に関する文章を書いた時に、

先ほどの「二次元」で表現されているその文章と同じ意味の言葉を、もし頭の中で考えて「話ことば」として会話中で発していくと、実はその文章(話ことばであれば「センテンス」)の裏にある意味や、その文章(センテンス)に付け加えるべき別の追加情報を、話ことばとして「同時に」発することができたりします。

「会話」って「流動的」ですからね。

ところが、これが

「文章」となるとそうはいかない。

先ほどのように、「文章」は「二次元的」=「平面的」ですから、あくまでも

時系列的

にしか言葉を表せません。

一つ一つ順番に書いていかなければならない。

もし話し言葉のように、そこで追加の情報や裏にある情報を付け足そうとすると、既に書いた事柄の後から、それを補足したり、再説明したり、という作業が必ず発生

してきます。

実はこれって、とても「平面的」な事柄なのですね。

だから、例えば、読み手に対して、二次元的で平面的なある文章に追加情報を加える時に、誤解を招かないようにとか、その文章の二重三重にもなった「裏の意味」や「層になった深い意味」などを伝えようと努力するにも、今ある文章の下にどんどん文字を追加していく構成だと、

「その部分しか伝わらない」

ということが必ず起こってきます。

読み手の事前知識であるとか、読み手の精神状態によっても、当然伝わる範囲や深みや理解度が違ってくるものですからなおさらです。

ところが、「話ことば」としての会話形態であると、会話を「前後」させることも可能ですし、一度に重要事項を話してから本題に入る、タイミングよく実例を挙げる、などのことが、リアルタイムに多重的にできるわけです。

そういった意味では、

★「話ことば」は「三次元的である」

とも言えますね。

プログラミングをしている人であれば、この

「話ことば」は「三次元的である」

という意味が、

比較的理解しやすいかもしれません。

例えば、プログラミングは、コードを記述することでシステムにある機能を実行させるわけですが、

出力したい結果から「逆算」して、「逆張り」で条件を付けてコードを書いてきます。

どういうことか、というと、

プログラミングでコードを記述していく場合、

文章のように「二次元的に平面的に」時系列で条件付けのためのコードを記述してしまうと、バグが起きやすくなってしまう

ということです。

(*「起きやすくなってしまう」というよりも、「ほとんど確実にバグに苛まれる」と表現したほうが適切かもしれません。プログラミングやってらっしゃる方であれば、周知のことだと思います。)

つまり、

単純な出力結果(例えばごくシンプルなサイトやアプリを開発すること)ことが目的である場合には表面上に出てこなかった「矛盾」であっても、

より複雑な出力結果(例えば、より動的で視覚的なサイトやアプリを開発すること)が目的である場合には、より複雑なコードを何重にも組み合わせて記述することになるので、

その何重にも組み合わせた記述同士で「矛盾」が起きてしまう=バグが発生してしまう

ということが頻発してしまうのですね。

そうすると、ここで、先ほどの文章のように「二次元的に平面的に」時系列で条件付けのためのコードを記述してしまうことによって、時系列でコードが確定してしまっているために、もはや大量発生している「バグ」を修正できなくなってしまいます。

だから

「逆張りの思考」が必要

なんですね。プログラミングでは。

そしてここが「プログラミングの難しさ」なわけです(苦笑)。

プログラミングの勉強を挫折してしまう人の特徴というのは、努力不足でも、スキル不足でも、頭が悪いわけでもなんでもないのです。

たとえ努力家でも、センスがあっても、コンピューターリテラシーがあっても、頭が良くても、

単純に「逆張りの思考」が不得意だと、プログラミングの勉強で躓くことが多い

と思います。

「逆張りの思考=結果から逆算して考える力」

ということですね。

プログラミング言語の中でも、特に「Javascript」「Python」などは顕著になってくると思います。

そして「逆張りの思考力」とは、そのまま「三次元的な思考力」ということにもなります。

「空間認識能力」にも関連するかもしれませんね。

1つの時系列入力で、複数のバグが階層的に発生してしまうわけですから。

先ほどのプログラミングと「二次元的で平面的な文章」との比較で例に挙げましたが、

二次元的で平面的だと、何かと後から修正が難しいのです。

最初から三次元的に逆張りで考えると、「何かを作り上げていくこと」と「修正」とを同時に行うことができる上に、リアルタイムで希望通りの結果を出せる確率が高まる

と言えます。

そしてそれは、より深い理解にも繋がります。

結局何が言いたいのか、というと(笑)

ブログ形態(文章)で情報を発信するだけではなく、

今後、音声(話ことば)でも情報を発信していったほうがいいのかな、と考えていますよ(この『運ラボ』プラットフォームを中心に)、というお話でした(笑)。

現在成長中の、この「運に関する総合プラットフォーム『運ラボ』」にも、そんな機能を追加しようかなと考えている、今日この頃です。



ジャミ―ロ

ジャミ―ロ

『運は自分でコントロールできる!!』ことを証明すべく「運を科学的に捉えてみる」という研究活動をしてきた「運の研究家」。「意味のある幸運な偶然の一致」をテーマに、フローやシンクロニシティ、プランド・ハプンスタンス理論といった、誰もが幸運の流れにのってハッピーに生きる方法を、20年にわたって研究中。

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