みなさん、こんにちは!
今日は恒例の「番外編」なのですが、
番外編といっても、とても大切なトピックになります。
私達がスピリチュアルの世界でよく耳にする
「魂レベル」とは何か
というお話なのですが、
この
「魂レベル」という言葉の本質が正しく理解されていない場面が多々あるので、
以前から一度正式な記事にしていきたいと思っていました。
「魂レベル」の本当の意味
そして
「魂レベル」が高い、低い、ということの本質はどういうことなのか
について、
ちょっと突っ込んでお話させていただこうと思います。
【『魂レベル』とは、『その本人の魂が、今どのステージまで学びを進めているか』ということであって、『魂に優劣をつけること』ではない】
多くの人が「魂レベル」について誤解しているケースを見受けます。
特にスピリチュアルの分野のお話を嫌う傾向のある人の中に、
「魂レベル」と聞くと、反射的に
「マウンティング」をされているように感じる人もいる
という印象です。
「レベルが高い・低い」という言葉から湧くイメージに、何か「差別的なものを感じる」のかもしれませんね。
以前、とある、スピリチュアル分野でご活躍されている方が、
「スピリチュアル・マウンティング」
という言葉を紹介されていたのを見たことがあります。
その方がおっしゃるには、
スピリチュアル分野でよく起こっている「問題点」の中に、
スピリチュアルの考え方を活用して、自分自身を高めたり、幸せに生きるヒントを見つけることを奨励する一方で、その「スピリチュアル的な考え方」が、相手を「支配」することに悪用されてしまっている場合が多々ある
とのことで、
「なるほどな」と思ったものです。
この問題は、私も以前から危惧していたので、とても共感したのを覚えています。
私はスピリチュアル分野の専門家ではないのですが、この
「スピリチュアル的な考え方を悪用して相手を『支配』する」という手口
は、私が今までいろいろ見てきたケースにもたくさんあります。
特にこの
「スピリチュアル・マウンティング」
に関しては、悩みや問題を解決するためにスピリチュアル的な考え方を活用したいと思っている人には、是非心の片隅に置いて、注意していただきたいと思っています。
「スピリチュアル・マウンティング」とは、
「スピリチュアルな力(ヒーリング、リーディング、除霊等)を持った人」=例えば、ヒーラーやスピリチュアル・カウンセラーが、
「そのスピリチュアルな力を借りて悩みや問題を解決しようと願う人」=例えば、ヒーラーやスピリチュアル・カウンセラーのクライアントに対して、
「スピリチュアルな力」がある側」>「そのスピリチュアル的な力を受ける側」という構図に、持ち込み、
「支配・被支配の関係」を作ってしまうというもの。
ですね。
「スピリチュアルな力(ヒーリング、リーディング、除霊等)を持った人」=例えば、ヒーラーやスピリチュアル・カウンセラーが、
「そのスピリチュアルな力を借りて悩みや問題を解決しようと願う人」=例えば、ヒーラーやスピリチュアル・カウンセラーのクライアントに対して、
「スピリチュアルな力」がある側」>「そのスピリチュアル的な力を受ける側」という構図
に、持ち込み、
「支配・被支配の関係」を作ってしまう
というものです。
もっと突っ込んで表現すると、
「スピリチュアルな力」がある側が「魂レベル」が高く、「スピリチュアルな力」を受ける側が「魂レベル」が低い、という「決めつけ」
ですね。
(*「スピリチュアルな力」の部分は、そのまま「スピリチュアルな知識」「スピリチュアルな経験」などにも置き換えられます。)
実は、この「決めつけ=スピリチュアル・マウンティング」で悩んでいたり、出口を失っている人が多いのです。
これは、私も以前から感じて危惧していたことでした。
「魂レベル」の本質が完全に「誤解」されてしまっているし、また「悪用」されてしまっている
と。。。
この「スピリチュアル・マウンティング」をしてくる人は、実際問題けっこういますし、そういった「スピリチュアル・マウンティング」をしてくる人に、しかたなく頼らざるを得ないで更なる泥沼に巻き込まれて苦しんでいる人達も、たくさんいるからです。
まず、「魂レベル」の本質として、
★『魂レベル』に優劣はない
ということを、強く断言させていただきますね。
これはとても大切なことです。
本来、「魂レベル」という言葉は、
特にスピリチュアルの分野で、その本人が持っている魂の性質や特徴と同時に、今その魂が
★ どの段階の学びに直面しているか
を説明するために、文章や語彙の上で、「魂レベルが高い」「魂レベルが低い」という「表現」をしているにすぎません。
しかし、本来、二次元の画面の文字上で「魂の概念」を完璧に説明するのには限界があり、この文章上の「表現」が、時に読み手に大きな誤解を与えてしまうことがあるのですね。
例えば、「レベル」と聞くと、
「階級」
を思い浮かべてしまったりする。
そして「階級」と考えると、どうしても
✖「上か下か」という「優劣」をイメージしてしまう
わけです。
「魂レベル」についての本質を理解できていないまま、イメージで「魂レベル」を捉えてしまうと、場合によっては
●「魂レベルが高い人」は、「魂レベルが低い人」よりも優れている
●「魂レベルが高い人」は、「魂レベルが低い人」よりも価値がある
●「魂レベルが高い人」は、「魂レベルが低い人」よりも優先されるべきである
というような、
「優生思想」
に陥ってしまうことも起こり得ます。
ちょっと前に、「優生思想」の危険性で大炎上した出来事がありましたが(苦笑)、
「魂レベルが高い」「魂レベルが低い」という表現は、決して「優生思想」のような考え方ではないのですね。
「優生思考」とは、誰かと誰かを比べた時に、その能力や生産性などに「相対的な優劣をつけて序列化し、より上の序列に価値を見出し、より下の序列の価値や存在意義を認めない」という思考です。
そこには完全な「階級思想」があります。より差別的なのですね。
ところが、「魂レベル」の本質は全く異なります。
何を持って「魂レベルが高い人」「魂レベルが低い人」と考えるか、というと、
★『魂レベル」 とは、『その本人の魂が、今どのステージまで学びを進めているか』という程度を表している
ということなのです。
そこには、「別の魂との比較」は一切ありません。
ある人の「魂」の学びのカリキュラムと、別の人の「魂の学びのカリキュラム」は全く違う上に、そのカリキュラムをこなす「スピード」も「条件」も「求められる結果」も、全部違うため、本来、「他人=別の魂」と「比較」しようが無い
のです。
私が、よくこのブログで「千差万別」という言葉を使っているのですが、まさに
★ 魂は千差万別 = 私達人間は全員がユニーク
なのですね。
現実世界の私達人間は、1人1人が、全員全く異なるバックグラウンドや経験値、考え方、能力の「組み合わせ」から作られた「固有の存在」です。
どんなに似ている要素があったとしても
どんなに同じような考え方をしても
どんなに類似の経験をしてきていても
その組み合わせは無限で千差万別。
誰一人として、同じ人間はいないんですね。
これはとても「当たり前」の事実なのですが、
私達は、日常生活を生きていると、ついこのことを忘れてしまう。だから、常に他者との「比較」で物事を捉えようとしてしまう。
のです。
そうすると
▲「上か下か」
▲「勝ちか負けか」
▲「価値が高いか低いか」
▲「生産性が高いか低いか」
▲「能力が高いか低いか」
▲「善か悪か」
といった
「白黒思考(白か黒か、のどちらかだけ)」で物事をジャッジしてしまいやすくなる
わけです。
そういった「白黒思考」が、
◆お金を持っている人・稼いでいる人が上、そうでない人は下
◆学歴を持っている人が上、そうでない人は下
◆この職業が上、そうでない職業は下
◆年齢が高いから上、年齢が低いから下
などのように、
物事を「分断」して、本来であれば不必要な序列を作ってしまう
原因となります。
しかし、よく考えてみると、私達が現実に生活しているこの世界の全ての物事には、「白か黒か」では片づけられない
グレーゾーン
というものが「必ず」存在しています。
というか、
★ この世界のほどんどの事柄は、ほとんどグレーゾーンの部分で成り立っている
といっても過言ではないかもしれません。
人間関係でも、仕事でも、勉強のやり方一つにとってみても、例えば、
●「善か悪か」の一言では片づけられない事柄
●必ずしもルールに従うことだけでは成り立たない事柄
●本音と建て前を使い分けなければならない場面
●理性と感情で、相反してしまう状況
といった、「白か黒か」では解決できない複雑な要素を含んだ事柄がたくさん発生します。
ある点からある点に物事や状況が発展したり減退したりしていくのにも、必ずその「通過点」が多数存在しているように、
あらゆる価値や素晴らしさや酷さにも、必ず「程度」があるように、
全ての事柄は、この「グレーゾーンの部分」でその大部分が占められているために、
本来、何かの事柄に決定的な「優劣」をつけることは不可能
なはずなのです。
当然、何かの事柄を「優劣」だけで評価することも不可能
です。
そして、こういった「白黒思考」の根底には、必ず
✖「支配」という目的
が潜んでいたりする。
「魂」の概念も全く同じです。
先ほどのように、全ての「魂」は「千差万別」です。
生まれてきた理由、今世での魂の使命(ミッション)、過去生で積んできた魂の経験値、生かすべき能力、今世で経験するべき学びのカリキュラム、全て、誰一人全く同じ「魂」はいないのですね。
ただただ、
自分の「魂の歴史=自分の転生(生まれ変わり)の歴史」の中で、
過去・現在・未来にわたって、過去の自分(魂)が、現在どれだけ成長してきているか、そして、今後、未来にどれだけ成長しているか、学びを遂行してきているか、という
★ 個人の「魂」の中だけで完結する「絶対的な基準」
を表現しているだけなのですね。「魂レベル」とは。
そうすると、もうおわかりのように、「魂レベルが高い」「魂レベルが低い」とは、
何かの特定の「基準」の元に、別の「魂」と比較して「魂レベルが高い」「魂レベルが低い」という考え方は全くナンセンスで、
あくまでその個人の「魂」の歴史の中で、今の自分(「魂」)は(学びが順調で)レベルが高い位置に来ているのか?、それとも(学びが滞って)「魂レベル」が以前よりも下がっているのか?という意味で「魂レベルが高い」「魂レベルが低い」と表現していることになるのですね。
長々と書いてしまいましたが、とても簡単に表現してしまうと、
★「魂レベル=その魂の『成績表』」
みたいなものだ、ということです。
その「成績表」が、
★ 他の「魂」との比較による「相対評価」なのではなく、個別の「魂」の中での「絶対評価」である
ということであり、
同時に、
★ その「成績表」をもらう「学びのカリキュラム」は、全ての「魂」で全部異なる
ということなのですね。
『その本人の魂が過去の自分と比べてどれだけレベルアップしてきているか』ということだけにフォーカスしている。
「自分以外の誰かの魂」と比べて「今ある自分の魂」のレベルが「上」なのか「下」なのか、という概念ではないのです。
だから、
「魂」というのは、その「魂レベル」が「高く」ても「低く」ても、その価値や意義は「全く平等」です。全ての「魂」が、その「魂レベル」にかかわらず「尊い」のです。
もちろん、その「魂」が人間として出す「現実世界でのアウトプット」には、どうしても「差」が出てしまうのは否めません。
「魂の学びのカリキュラム」がどれだけ違っても、挑戦している「魂の学びのレベル」がどんなに違っても、その千差万別の「魂」達が、今、たまたま「同じ時代」に「同じ場所」で学びに来ていて、そこで必ず「関わり合い」が生まれるので、その瞬間に彼らが出すアウトプット(考え方、能力、経験値、実績、人間性)を見た時に、表面上は必ず「差」が出る。これは「物質世界」に住んでいればごく当たり前のことです。
でも、それはあくまで、
彼らの「魂の学び」も「魂の年齢」も全て違うという前提での「現実世界での比較」にすぎない
ということです。
つまり、
沢山の「魂」が、同じ時代に、同じ場所で、でも全員が
★「全く違う土俵」で、それぞれ学びのカリキュラムを遂行しているに過ぎない
ということなのですね。
「土俵が違う」のですから、アウトプットの違いを「比較」するなんて、本来ナンセンス。「比較」なんて、できないはずなのです。
これが
「魂レベル」の本質です。
だから、同然「優劣」だってつきようがない。
何度でも言いますが、
あくまで、自分自身の、その本人の「魂」の、過去・現在・未来にわたる「学び」のカリキュラムが、どの程度進んでいるか、という意味で「魂レベルが高い」か「魂レベルが低い」ということ
なのですね。
ただ、そこで一つ、「魂レベルが高い」ことが「魂レベルが低い」ことよりも意義があることをお話するとすれば、それは
★ 魂レベルが高い人の「魂」は、魂の学びの経験値がより高い
ということだと思います。
「経験値が高い」ということは、人生で遭遇する事柄について、より多くの「パターン」を知っているということでもあります。
だから、今までの経験値を組み合わせて、より複雑で難しい困難にも対処できる器が育っている、ということでもあるのですね。
そうすると、「魂レベルがまだ低い人」よりも、自分の力で乗り越えられる事柄も多くなりますし、
なにより、(いろいろ悩んだり苦しんだりはしても)、それ相応の精神的強さを身に着けることもできていきます。
そすると、「魂レベル」とは、
「魂の年齢」
とも言い換えることも出来るかもしれません。
「年齢の高い魂」「まだ若い魂」「成熟した魂」「幼い魂」など、
いろいろ表現できそうですね。
また、
その「魂」が、常に自分の「魂の学び」を継続的に頑張って続けているかどうか?
ということを考えると、
たとえ、その時点でその「魂」の「魂レベル」が(絶対的に)低かったとしても、その「魂」が自分の「魂の学び」を頑張って続けている限り、その「魂」は成長を続け、多くのサポートを宇宙から得られるはずです。
「魂の学び」を滞りなく続けることは「循環」に繋がりますから、「宇宙の法則」「自然の法則」に従っていることになるので、ちゃんとサポートを受けられるのです。
反対に、どんなにその時点での「魂レベル」が(絶対的に)高くても、何かのきっかけで「魂の学び」を滞らせてしまい、それが続くと、そこで「循環」が滞ってしまう。緩やかにその「魂レベル」は(絶対的に)下がっていくことになります。
だから、実は、
あらゆる「レベル」にあるどの「魂」にも、その「魂レベル」に応じたチャンスが与えられ、またどの「魂」も、鍛錬を怠り続けるとそれ相応の結果を受け取る(原因と結果の法則)ことになる
のですね。
そういった意味で、どの「魂レベル」の「魂」も、宇宙からとても愛されているのと同時に、その「魂レベル」に応じて、とても厳しいスパルタ・トレーニングを受けているようなものなのかもしれません。
ただ、このブログでいつも何回もお話しているように、「エナジーバンパイア」などの、「魔界の意図」側に落ちつつある人達の「魂」というのは、
「魂の学びを滞らせている」
または
「魂の学びを放棄しつつある」
「魂」である場合が多い。
この場合は、「宇宙からの愛やサポート」を受け取ることが困難になります。
なぜだかは、もううおわかりですよね。
「エナジーバンパイア」の搾取攻撃を受け続けている「渦中」の真っただ中にある被害者・ターゲットの人達にお伝えしたい。
「エナジーバンパイア」の搾取攻撃を受け続けている「渦中」の真っただ中にあるのだから、皆さんは、その「搾取攻撃」に耐えたり防御するために、多大な時間とエネルギーを消耗してきていると思います。
だから、今は、まだその状況から脱出することでいっぱいいっぱいになってしまっている場合が多いことでしょう。
これは当然のことだと思いますし、更には、全くあなたのせいではない。
あなたがずっと居続けなければならない状況であってはならない。
でも、今はまだ、自分の持っている「光」を、自分や世の中のために使うどころではなくても、
エナジーバンパイアのターゲットから抜け出たその先の人生で、
自分の持っている「光」を、自分や自分の大切な人、そして世の中のために使って、皆で「WIN-WIN」になっていくよう循環させる場面を思い描いておくことは、エナジーバンパイアのターゲットから抜け出ていく上で、とても強力な「心の支え」になると思います。
「本来の自分を思い出す」ことにも繋がりますからね。
「魂の学び」をしっかりと継続している人であれば、たとえどんなに大変な状況に置かれている人であっても、エナジーバンパイアの搾取攻撃でボロボロなっている人であっても、
宇宙は絶対に見捨てるようなことはしません。
自分でその「糸」を切ってしまわない限り
です。
これは本当に大切なことなので、この本質をしっかりと心に刻んでいただけたら幸いです。
★『魂レベル』=『その本人の魂が、今どのステージまで学びを進めているか』
ですよ!
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