私が『運の研究』をはじめてから、今年(2023年時点)で、早25年という月日が経ちました。
光陰矢の如し(Time flies)と言いますが、
私が日本から海外移住して、ちょうど3年目に、拠点とする国が変わったことで、自分自身のキャリアも大幅に変更せざるを得ないと感じていた矢先。ご縁あって学ばせていただくことになった大学院で、初めて
『運を科学的に捉える』
という分野を専攻することになり、しばらくその研究に携わることとなりました。
これも「ある偶然がきっかけ」で、
折しも、その「ある偶然」が、その後の私が『運の研究』にのめり込んでいくきっかけとなった「20代前半の出来事」に「酷似」するようなパターンで発生し、
ある種の「お役目を授かった」かのような感覚になったのを、今でもはっきりと覚えています。
もちろん「お役目を授かった」などと大変「畏れ多い」考えで、当時の私がいかに「青二才」であったかを象徴するような表現なのですが、
結構どん底だった10代(個人的に「失われた10年」と呼んでいます)の荒波からようやく顔だけ出しかけた時、
その後の21歳からのおよそ4年間に、立て続けにあり得ないような「意味のある偶然の一致」が、それもかなりスケールの大きい形で発生し、それが「現れたり消滅したりを繰り返す」ということを目の当たりにした経験から、
●「運のよさ」とは何か?
●「物事を必ず成就させる人」と「物事にのまれる人」との『違い』は何か?
●「運とは制御(コントロール)できるもの」なのではないか?
という、疑問が常に頭をよぎっている状態が、長らく続いていきました。
その時期から個人的に「運」、特に「意味のある偶然の一致」について猛烈に調査するようになり、
更にそこから10年、ありとあらゆる「運に関する書物・書籍」を読み漁り、ありとあらゆる「運に関する知識・知恵」を垣間見せてくれる出来事・現象・教え等を逐一「運」と結びつけて観察・考察し続け、満を期して海外移住に至ったタイミングで、先ほどのように
★「ある偶然」が、その後の私が『運の研究』にのめり込んでいくきっかけとなった、この「20代前半の出来事」に「酷似」するようなパターンで発生
し、
正式に、『本格的な運の研究』をスタートさせることとなったのでした。
研究スタートの初期に「運を科学的に捉える研究の登竜門」として既に確立されていた分野が、私が以前のブログやこの『運ラボ』でよくお話している
「フロー理論」と「シンクロニシティ理論」
でした。
「フロー理論」と「シンクロニシティ理論」とは、「運の科学」の基礎中の基礎的入門分野(エレメンタリー、Elementary)ですから、
その後、私は「フロー理論」と「シンクロニシティ理論」を掘り下げながら、
「運を科学的に捉える」ことを基本として、
統計学的・歴史学的な要素を備える西洋占星術や、算命学・四柱推命・陰陽学などに代表される東洋思想を含め、
既に「運を科学的に捉える」アプローチで「運の研究」を行ってきている、各分野(例えば、心理学、精神医学、行動心理学、社会心理学、量子力学etc…)のエキスパートである、世界中の研究者、PhD(ドクター)、professors(世界各国の研究教授)等の論文や著作物等を参照として、
様々な方面から「運」を体系的に観察する訓練をしてきました。
「運」を英語に翻訳してみると、実に様々な単語(言い回し)が適用できます。
例えば、
「fortune」「luck」「chance」「destiny」「fate」「lot」「cast」「break (piece of luck)」などなど、、、
が挙げられますね。
このことから、一口に「運」と言っても、その「運」に様々な「附属的意味合い」がついて回っている、ということが見て取れます。
これは「日本語」においても、その他の言語においても同じことで、
「運」という意味の中でも、もっと個別に具体的な「運の状態」、例えば
★「幸運(fortune)」
★「運が良い(luck)」
★「好機(chance)」
★「運命(destiny)」
★「宿命(fate)」
★「定め(lot)」
★「生じる運(cast)」
★「幸運な出来事(break ~piece of luck)」
などのように、「運の状態」はそれぞれ別個で固有の「特徴」がある、というわけです。
例えば「運命」と「宿命」とは『似て非なる代表格』です。
本来その人が生まれ持って背負ってこの世に生を受けているのが『宿命』であり、
この「先天的」に持って生まれた『宿命』の『型』に沿った「人生全般の流れ(方向性)」を、後から「変える」ことはできません。
しかし『運命』は『宿命』とはまた別で、『宿命』の上に層のように重なって連動し、この世に生を受けた後に「後天的」に(例えば、自分自身の努力や鍛錬によって)「いくらでも変えられる」ものです。
『宿命』という「先天性の(魂の)特性」に加えて、『運命』という「後天性の(魂の)特性」の二刀流で、
私達人間は「現世」をわたっていくわけです。
また、更に、「先天的」に「型」が決まった『宿命』と、私達自身の努力や鍛錬によって「後天的」に変えることができる『運命』の両方も、更に細かく2つづつに分けることができます。
「先天運の宿命」+「後天運の宿命」
と
「先天運の運命」+「後天運の運命」
ですね。
ここで言う「先天」とは「持って生まれたもの」
そして「後天」とは「後から『その時期ごと』に巡ってくるもの」
になります。
この辺りは、得に算命学や四柱推命などの「東洋思想」で説明すると分かりやすいのですが、
それはまた、「東洋思想」をはじめとした「世界の運占学」のテーマで取り扱おうかと思いますので、
ここではざっとの説明になります。
ではなぜ、ここで「宿命」や「運命」をはじめとした「運の種類」や「運の状態」のお話してきたのかというと、
こういった
「運の種類」や「運の状態」に例外なくついて回るのが
● 陰陽 〇
という考え方だから、です。
「陰陽」という言葉を聞くと、
先ほどのように、得に「東洋思想」における「陰陽学」を思い浮かべられる方も多いかもしれません。
しかし、「陰陽」という考え方は、「東洋思想」における「陰陽学」に限られたものではなく、古代の時代から現代に至るまで、世界中で発生してきた「思想」の流派で取り扱われてきた考え方です。
古代エジプトでは「月の神」が「陰」、「太陽神」が「陽」として崇拝されてきましたし、
古代インカ帝国でも、「太陽を神として仰ぐ」=「陽」の思想、が中心でしたし、
こと、私が携わっている「運」全般の分野においても、「幸運」と対をなしてその対極にある「不運」という考え方があります。
要は、
★この世の全ての現象・事象には「裏(陰)」と「表(陽)」の両面が存在している
ということでもあります。
〇 表裏一体 ●
なんていう言葉もわかりやすいですよね。
これが、「思想レベル」にとどまらず、
私達の「現実世界」にも例外なく適用されているのが、この「陰陽」現象の興味深いところでもあります。
先ほどもお話させていただいたように、
物事には例外なく「裏表」の両面があります。
つまり、これを別の言い方で表すと
物事には例外なく「光と影」の二面性が宿っている
ということでもあります。
★ いい状況の時もあれば、悪い状況の時もある(またその「逆」もしかり)
★ 上がれば下がる(下がればまた上がる)
★ 本音と建て前
★ 真実と嘘
★ 熱さと寒さ
★ 高さと低さ
★ 外向性と内向性
★ 抽象性と具体性
★ 天国と地獄
書き出したらキリがありませんが、
人の性格、嗜好、言動、考え方、現実に起こる現象、事象、全てにおいて
●「陰陽の法則」が働いていない物事は存在しない 〇
と言われています。
「宇宙」にも、例外なくこの「陰陽の法則」が働いています(正確に言うと「宇宙そのもの」が「陰陽」で成り立っているとも言えるかもしれません。)
その「この世の現象」の中で、共に「陰陽」を備えながらも、「陽側」「陰側」のどちらかにより傾く
という場合が多々あります。
これは、現象レベルのみならず、私達「人間」の「本質」にも同様に当てはまることです。
ものの考え方、表現の仕方、行動のとり方、全てにおいて
〇 限りなく「陽側」に傾倒している人
● 限りなく「陰側」に傾倒している人
●⇔〇「陰と陽の両方」を行ったりきたり出来る人
●=〇「陰と陽の両方」をバランスよく配分できる人
など、
ここに更に「個性」が加わって、
一人一人が「独自の存在」になっていきます。
その時に、私達がこの「陰陽の法則が支配する世界」で「生き残っていく」ために、実は一番理想的なのが
●=〇「陰と陽の両方」をバランスよく配分できる人
なのですね。
そして、この部分こそが、今日の記事のタイトルでお伝えしたい「核心部分」である
〇● 清濁併せ持つ生き方の勧め 〇●
なのです。
「清濁併せ持つ」とは、文字通り
〇●「陽(清)」と「陰(濁)」とを「1人の人間の中に併せ持つ」という「有り方」●〇
です。
そしてはこれは、
「誠実であろうとする人」に対して「不誠実になれ」ということでもなければ
「正直に生きるフリ」をして「嘘つきになれ」ということでもなく、また
「我欲にまみれつつ聖人君子のようにふるまえ」ということとも違います。
自分自身という人間の生き方や考え方の「変化」や「揺らぎ」を含めて、この世の物事は全て「陽から陰へ転じること」もあれば、その反対に「陰から陽へと転じること」もある、ということを「覚悟しておくこと」が大切である
という意味です。
「いい人」が「いい人であるだけ」では、時に誰かに利用されたり、傷つけられたりすることもある。その「痛手」が「人生の取返しのつかない致命傷につながる」こともある。
「悪い人」が「悪い人であるだけ」では、本人の本当の「魂」は死ぬまで満たされずに「永遠に真の喜びを見つけられないまま人生を終わる」ことになる場合もある。
「清濁併せ持つ」とは、人生で経験する『揺らぎ(順風満帆との対極にある「変化」「逆境」「飛躍」「転換」)』を自由自在に乗りこなすための処世術
です。
「清濁併せ持つ」生き方へとシフトするには、それだけの「覚悟」と「潔さ」が必要です。
「根っから善良な人」に、積極的に『濁』の部分を理解して取り入れよ
「根っから悪徳な人」に、積極的に『清』の部分を理解して取り入れよ
ということですから、それなりの「覚悟」と「潔さ」が必要になります。
それが、理想的な
●=〇「陰と陽の両方」をバランスよく配分できる人
最低でも
●⇔〇「陰と陽の両方」を行ったりきたり出来る人
への、シフトの条件となります。
今日も少し「抽象的」なお話になりましたね。
でも、とても大切な「処世術」ですよ!
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