私たち人間は誰しも、生きている中で「失敗」をするものです。
日常の些細な「失敗」を単発でやらかしてしまったり、
取返しや巻き返しに苦労するであろうもっと大きな「失敗」をやらかしてしまったり、
些細な失敗であろうと、取返しや巻き返しに苦労するであろうもっと大きな「失敗」であろうと、それを「何度も繰り返して」しまったり、
と、
様々な「状況」や「立場」に置かれているありとあらゆる人々の中で、
「失敗」を経験したことのない人なんて、絶対にいません。
(*ドクターXの「大門未知子」さんは、ここでは考慮にいれません・笑)
そもそも、
★ある分野でそれなりの実績をおさめている人
★何か大きな成果を上げている人
★「一つの事柄」に集中的にかつ継続的に取り組み続けている人
というのは、だいたいにおいて、
その「実績」や「成果」や「継続的な取り組み」の裏で、100も1000もの「失敗」を経験してきている
場合がほとんどです。
え?あの人が!?
あれだけ順調に進んでいそうなあの人が?
あれだけ実績をたたき出しているあの人が?
あれだけ爽やかに軽やかに生きていそうにみえる、あの人が?
実は、その「順調さ」や「実績」や「爽やかで軽やかに見える生き様」の影で
その何百倍もの、何千倍もの「失敗」を経験し、それを乗り越えてきている
という『隠れ事実』があったりします。
1つの「実績」、1つの「成功」、1つの「継続」というものを、
その人が人知れず影で経験してきたであろう「100の失敗」「1000の失敗」から得た「学び」の積み重ね
が支えている。
そう考えると、そういった誰かが成し遂げてきた1つの「実績」、1つの「成功」、1つの「継続」というもの、または「それらの組み合わせ」を、安易に嫉妬してみたり、気楽に真似してみたり、自分と比較して落ち込んでみたり、的外れな批判をしてみたり、無責任に貶めたり、というのは、あまり「意味がない」ことであると思われますし、
では逆に、その人が人知れず影で経験してきたであろう「100の失敗」「1000の失敗」から得た「学び」レベルに「手っ取り早く飛び級してやろう」としても、そんなことは実際のところ「不可能」です。
そして、そういった、1つの「実績」、1つの「成功」、1つの「継続」の裏で「100の失敗」「1000の失敗」から得た「学び」を積み重ねてきた人達の人生に垣間見える「実に興味深い特徴」というのが、
何かに挑戦して「一度は失敗として現れた現象」が、本人の考え方、時間の経過、時代の変化、社会状況・文化的な価値観の転換によって、後々意義のある現象に「化ける」=結果的に「成功」となる
という状況を、何度も経験してきている、ということです。
「失敗」がいつの間に「成功」に『転換』されている。
この現象は、先ほどもお話したように、
● 失敗を経験した「本人の考え方」が変化する
● 失敗を目の当たりにした「周囲の考え方」が変化する
● 本人および周囲の人達にとっての「失敗を取り巻く状況」が変化する
● 「社会的状況、文化的価値観」が変化する
● 「社会情勢そのもの」が変化する
などの、種々多様な単発要因、またはそれらの組み合わせによって「後から」「時差を経て」起こる現象であり、まさに
★「失敗」が「成功」に『化ける』
という典型例だと思います。
更に、この
★「失敗」が「成功」に『化ける』
ということの真骨頂は、先ほどの、様々な要因に「変化」が起こっていく⇒それに応じて「物事や価値観が転じていく」ということに加えて、やはり
その「実績」や「成功」や「継続」の裏で、更にその何百倍もの、何千倍もの「失敗」を経験し、それを乗り越えて「学びの積み重ね」を蓄えてきている人達の、
★ 失敗の数=『経験値』の賜物
なのではないか、と、
強く思うわけです。

私達の多くは「一般人」なので、
多くの「実績」「成功」「継続」の裏で「100の失敗」「1000の失敗」から得た「学び」を積み重ねてきた人達
と自分自身とを同じ土俵で考えるのは、あまり意味がないかもしれませんが、
先ほどのように
●1つの「実績」、1つの「成功」、1つの「継続」を日々実践している
または
● 複数の「実績」、複数の「成功」、複数の「継続」を日々実践している
という方は、この社会ではそれなりの結構な数で存在していらっしゃいますし、
また実際のところ「自分もそうだ」という方もいらっしゃるでしょう。
私達はそういった人達の「有り方」を参考にさせていただきながら、
(それがどんな程度で、どんな規模であるかにかかわらず)自分自身の「成功」と「失敗」について、ちゃんと
「学びにリンクしているか」
を考えながら、見つめ直すことはできますよね。

日常生活のいろいろな場面で、一度「失敗」をしてしまうと、
私達はとにかく「失敗をしてしまった!」という「精神的ショック」や「ばつの悪さ」にのまれてしまって、
その「失敗」に対して、何か対策をたてなければならないのに、その先に進めない、どうしたらよいかわからない、という
「判断力低下状態」
に陥ってしまうことがあります。
そこで早急に解決に向けて行動を起こさなければならない状況であっても、「焦り」が先にたってしまって、何をやっても「空回りしてしまう」、なにをやっても「いっこうに状況がよくならない」、更には「別の更なる失敗を重ねてしまう」といった
泥沼
にはまっていってしまうこともあります。
先ほどのように、物事や事象には実に様々な「転じる要因」というのがありますから、
ぱっと見は明らかに「失敗」のように思えても、時差を経て、「実は成功だったのだな」となることはよくあります。
「一度は『失敗』したかに見えた事象は『大成功』に化けることがある」。
災い転じて福となす、ではありませんが、
そこに常に「学び」がある限り、また
そこに常に「学び」を「見出そうとする意識」を働かせている限り、
あなたの「失敗」は「大成功」に化けますよ。
ただし、「失敗した」と思ったら、必ず「失敗したと思った事柄」と「その時の自分自身の有り方」の「客観的見直し」が必要です。
その「客観的見直し」は、
❶失敗のすぐ直後
❷(精神的落ち着きを取り戻した後)しばらく時を置いてから
そして、
❸事の大きさによっては『数年後のどこか』で
「その時の『失敗』について冷静に振り返る」という時間を取ることが大切です。
なぜなら、「失敗」が「成功」に『化ける』現象を引き起こす、先ほどの様々な「転じる要因」(自分自身の考え方の変化、周囲の捉え方の変化、社会情勢の変化、文化的価値観の変化 etc…)というのは「それなりの時間を必要とするから」です。
更に、逆張りで考えると、
★ 時を経て「失敗」が「成功」に『化ける』現象
というのは、同様に
▲ 時を経て「成功」が「失敗」に『化ける』現象
にも通じる、ということにもなります。
今ある「価値観」や「考え方」や「判断の仕方」というものが、3年、5年、10年と時間経過していく中で、やはり
「変化していく」⇒「転じていく」
ことがあるからですね。
ある時期に「これがベストだ」と信じられていた事柄が、数年後には全く意味をなさなくなってしまった、という現象は、
どこの分野でも起こっていますので。。。

私は、こういう現象を
★ 運の七変化
と呼んでいます。
実際には「七つの変化」にはとどまらないのですが(笑)。
「物事は転じる」。
頭の片隅に、留め置いておいてくださいね!

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