みなさん、こんにちは!
★完全保存版・徹底解剖‼★【エナジーバンパイアの真実】シリーズ第24弾です。
このテーマでは、私達が「本物の強運の持ち主」になるために避けては通れない障害である
高い生命エネルギーを持つ人から、その運やエネルギーを横取りして奪う
「エナジーバンパイア(エネルギーバンパイア)」
について、
その特徴、
その危険性、
その個人&世の中に対する被害的影響、
彼らから、自分の大切な運やエネルギーを守り抜く対処法、
今後彼らから絶対にターゲットにされない具体的方法、
等を、
スピリチュアル的な観点からだけでなく、
心理学、
脳科学、
人間行動学、
人間関係論、
物理分野の量子力学、
のあらゆる科学的観点から、
数回に分けて、かなり突っ込んでお話していくシリーズです!
今回は、その第24弾、
『魂のレベル』というスピリチュアル的等級
と題して、
私達から「運」や「エネルギー」を奪う「エナジーバンパイア」達が私達に与える、
今まで解明されてこなかった恐ろしい影響について、お話していきます。
(注意:これは、「本物の強運の持ち主」として、あなたが世の中に貢献しながら幸せに成功していくために、絶対に避けては通れないトピックなので、どうぞじっくりお付き合いください。)
【前回の記事】
【エナジーバンパイア対策の過去記事一覧】
【『魂のレベル』~「その魂レベルに見合った学び」を得るために、「自然の法則」「宇宙の法則」によって生み出されている「魂の階層」であり「魂の等級」のこと】
前回、前々回のブログでは、
この世界のありとあらゆる「悪」を生み出し続けている「魔界の意図」が、
「ターゲット=強い「運」や「エネルギー」を持つ魂レベルの高い人々」を支配して世に出ないようにしつつ、その強い「運」や「エネルギー」を根こそぎ奪うために、「ターゲット=強い「運」や「エネルギー」を持つ魂レベルの高い人々」に対して行う
「魔界の契約」
について、
順を追ってプロローグ的にお話しています。
「魔界の契約」については、
今後控えている「『魔界の意図』の真実」シリーズでより詳しくお話していく予定ですが、
今日はその「魔界の契約」にも密接に関係している
『魂のレベル』
について、
前回のブログにからめてお話していこうと思います。
私達が現在進行形で生きているこの世界≠地球というのは、大いなる「宇宙」のごくごく一部分なわけですが、
この「私達が生きる地球」を含めて、宇宙全体には
「自然の法則」「宇宙の法則」
が適用されています。
そしてこの「自然の法則」「宇宙の法則」が完璧なバランスで「秩序」を保っているがために、
この地球上でも、数々の素晴らしい事象が「歴史レベル」で発生し続けているのですね。
その素晴らしい「おこぼれ」を戴いているのが、私達「人間」でもあります。
希望を持って生きられたり、
「夢」を持つことができたり、
その「夢」を追求することができたり、
またその「夢」が叶ったり、
新たな別の「希望」が再び生まれたり、
と、
素晴らしい「正のサイクル」が続々と発生している。
私達「人間」を含めた地球上の生き物が、絶妙なバランスを取りながら共存できているのも、
地球上の技術や文化がどんどん発展していっているのも、
ひとえに
「自然の法則」「宇宙の法則」
のおかけなのですね。
ところが、前回のブログでもお話しているように、
この世界は、別の意味では
「非常に危険を伴っている世界」
でもあります。
なぜなら、
この地球上に生きている全ての人間には「魂」が宿っており、
その「魂」には「魂のレベル」という、スピリチュアル的な「等級」が存在しているからです。
「魂レベルが未熟な存在」から「魂レベルが非常に高い存在」まで、全く違ったレベルの魂を持つ存在が、同じ次元の世界で交じり合って生きているために、その「等級」の違いが様々な「軋轢」を生みだしてしまうのです。
●魂レベルに準じた「人格の等級」によって、お互いが「理解不能」となってしまう。
●「魂の経験値」の違いによって、新たな「経験」に対する認識や捉え方が全く異なってしまう。
●人間として転生してくるずっと以前の、元々その「魂」がずっと存在してきた「階層世界」の違いによって、自らの「魂の学び」や「魂のミッション(使命)」に対する「自覚」が全く異なってしまう。
こういったことが起きてきてしまいます。
だから、
「自然の法則」「宇宙の法則」によって、せっかく宇宙全体が絶妙なバランスと秩序とを保っていたとしても、
「魂レベルが未熟な存在」から「魂レベルが非常に高い存在」まで、全く違ったレベルの魂を持つ存在が、同じ次元の世界で交じり合って生きているこの「地球」では、「矛盾」「争い」「不条理」「不公平」がはびこってしまうのです。
それを総じて
「カオス(混沌)」
などと呼んでいるのですね。
前回のブログでも念を押させていただいていますが、
「魂レベルによる等級」という概念は、決して「差別的」な意味合いのものではありません。
「魂レベルが低い(未熟な)存在」
「魂レベルが高い(成熟した)存在」
という「区別」「分類」が、「自然の法則」「宇宙の法則」を説明する場合にも、この「カオス(混沌)」を説明する場合にも
「必須」
なのですね。
しかも、この「スピリチュアル的魂の等級の範囲」というのは無限に近い。
「魂のレベル」にはありとあらゆる「段階」があり、
宇宙が無限であるのと同じく、「魂レベル」の等級もまたほぼ無限です。
「∞」
の記号で表してもいいくらいです。
以前の過去記事でもよく、
全ての人(全ての魂)というのは、どれ一つとして同じ存在ではない
「千差万別」の経験値を持っている
ということをお話してきていますが、
「魂のレベル」も同じで、
一人一人の魂というのは、
「無限の経験値の組み合わせ」の結晶
なのですね。
まさに「千差万別」で、どれ一つとして同じレベルでは存在していない。
よく、「同じ魂レベルの人同士が引き寄せられる」などと言われることがありますが、
厳密には、ある魂と「全く同じ魂レベルの魂」というのは、存在していません。
数学的な微量単位で、みな微妙にずれた階層に存在している。
つまり、
類似のレベル・類似の魂の学びの段階にいるそれぞれの「魂」が、「それぞれの階層」からお互いを見ている
というような表現の方が正しいのです。
交差することは合っても、決して平行することはない。
「千差万別」とは、そういうことです。
だからこそ、
「魂レベルが低い(未熟な)存在」
から
「魂レベルが高い(成熟した)存在」
まで、
その「無限の等級・階層」に位置する全ての「魂」は、
みな尊い
はずなのです。
本来、善悪も優劣も全く存在していない。
ただし、それには一つ「条件」があって、
「魂レベルが低い(未熟な)存在」であっても、
「魂レベルが高い(成熟した)存在」であっても、
今ある「魂レベル」での「学び」と真剣に向き合っている状態
であることが必要となってきます。
魂レベルが低い(未熟な)状態であっても、
魂レベルが高い(成熟した)状態であっても、
●その「魂」が、自分の存在意義を「自覚」しており、
●全力でその「レベル(等級・階層)」を上げていこうと常に努力し、
●「地球」全体の波長を上げていくことに少しでも「貢献」することを理解し、
●実際に「その魂レベルに見合った学び」に向き合ている
のであれば、
既にその「魂」は十分に尊い。
その「魂の未熟さ」故に、別の「より魂レベルの高い魂」に迷惑がかかることがあっても、それは
「相互作用」を伴う、お互いにとっての「魂の学び」
になり得ます。
逆に、その「魂の成熟さ」によって、別の「より魂レベルの低い魂」を啓蒙することもあるでしょう。
これも、
「相互作用」を伴う、お互いにとっての「魂の学び」
なので、正解です。
では何が問題なのか、というと、
その「学びの過程」にあるはずの存在が、(魂レベルが高い・低い、に関わらず)
「その魂レベルに見合った学びを放棄している場合」
に、この「魂の修行の場」であるはずの「地球」が、
『「自然の法則」「宇宙の法則」によって絶妙なバランスと秩序とが保たれている「宇宙」の一部分』
から、一転して
『「カオス(混沌)」に満ちた「支配」と「搾取」の温床』
に成り下がってしまうのです。
【『魂のレベル』という「スピリチュアル的等級」は「螺旋階段」のように上にも下にも限りなく続いてるが、その「限りなく最下層」部分は「魔界」に繋がっている】
「魂レベルが高い(成熟した)存在」というのは、先ほどもお話したように、
常に「その魂レベルに見合った学び」に真摯に向き合っているものです。
それがたとえ、「挫折」や「逆境」に近い経験として降りかかってきたとしても、
「喜び」や「楽しさ」を伴う「魂の学び」と同様に、正面から受け止めて取り組んでいきます。
この姿勢が、この地球上の「社会」という枠組みの中で
●「現実を受け入れる」
●「現実に対処する」
●「責任を取る」
●「実力を磨く」
●「世の中に『反映』させる」
という言動となって現れてきます。
そして、もう一方で、
「魂レベルが低い(未熟な)存在」もまた、
「その魂レベルに見合った学び」に真摯に向き合う場合が多々ある
ことも、
「自然の法則」「宇宙の法則」の恵みであり、恩恵です。
この場合は、その「魂レベルが低い(未熟な)存在」は、
「宇宙時間的」な長い時間をかけつつも、
確実にその「魂レベル」を上げていくことが出来ます。
「無限」の時間軸・空間軸の中で、
限りなく「高い魂レベルの存在」になっていく可能性を持つことができます。
しかし、前回のブログでも少しお話しているように、
「魂レベルが低い(未熟な)存在」の中で、
「その魂レベルに見合った学びを放棄している存在」
というのが、一定数現れてきます。
そういった「その魂レベルに見合った学びを放棄している存在」に目を付けて、地球全体のアセンションを妨害するために利用しているのが、
「この宇宙で『悪の側』に完全に振れ切った存在の集合体」である
「魔界の意図」
であり、
その、利用されている「魂レベルに見合った学びを放棄している存在」の一部が、
「エナジーバンパイア」
に成り下がっていってしまうのですね。
「魂レベルが非常に低い(極めて未熟)な上に、更に「魂の学び」を放棄している存在」
の場合、
その後に訪れる運命は決まっています。
つまり
「魔界に堕ちる」
という運命です。
それも、「魂の階層は上にも下にも無限に続いている」わけですから、
本人(エナジーバンパイア)がどこかで自ら歯止めを聞かせない限り、
何処までも墜ちていく
ということになります。
限りなく「魔界の意図」側に下がり続けている「低い未熟な魂レベルの存在」である「エナジーバンパイア」が、「魂の学びを放棄している」ことで、
●正攻法を極端に嫌う
●真っ当な「努力」を極端に嫌う
●現実を直視して受け入れることができない
●他人の努力や能力を受け入れることができない
●嫉妬が激しい
●自分や現実を変えるのではなく、「妄想」「捏造」「隠蔽」の世界に逃げこむ
●責任を取る能力が著しく低い
●極端な回避傾向・依存体質・利己主義
●他人を傷つける・利用する・搾取する
といった「負の傾向」を見せているのも、宇宙単位の「時間軸」「空間軸」で言ったら、あくまでも「限られた間」に過ぎません。
「エナジーバンパイア」がやりたい放題している「社会」や、搾取攻撃のターゲットにされている人達にとっては、本当に「地獄」ですが、それでも、「エナジーバンパイア」側の立場から見れば、まだまだ「彼らにとっては傷が浅い段階」です。
もっともっと「怖い」「恐ろしい」結末に近づくのは、
彼ら(エナジーバンパイア側)が「もっともっと『魔界側』へ堕ちていった時」に初めて始まります。
先ほどもお話したように、
何処までも墜ちていく
わけですから、
スピリチュアル的破滅
に向かって
もはや、「その魂レベルに見合った学び」などという、「自然の法則」「宇宙の法則」がお膳立てしてくれていた素晴らしい救いの手など、一切届かなくなる時点にまで深く落ちていくことになるのです。
そうするとどうなるか?
こういった「魂レベルが非常に低い(極めて未熟)な上に、更に「魂の学び」を放棄している存在」を手下にして、「魂レベルの高い人々」=強い「運」や「エネルギー」を持つ人々」の活躍を抑え込み、地球の波長を上げさせないように「アセンション」を阻止しているのが、「魔界の意図」であることは、前回のブログでもお話していますが、
こういった、
「自然の法則」「宇宙の法則」がお膳立てしてくれていた素晴らしい救いの手など、一切届かなくなる時点にまで深く落ちていくことになった「魂レベルが非常に低い(極めて未熟)な上に、更に「魂の学び」を放棄している存在」は、
その後、永遠に「魔界の意図」に吸収・同化され、
ブラックホールからもはや抜け出せない元「光」として、
今後、転生(生まれ変わり)を経験できなくなります。
転生(生まれ変わり)についてのお話は、「運」を研究してきている私が
「運と生まれ変わり」
「運と転生」
について、おそらくブログ記事に何十件と書ける用意があるほどに、
やはり何年も研究してきていることであり、
将来的に「運と転生(生まれ変わり)」シリーズを立ち上げる予定ですので、そこで詳しくお話していきますが、
今後、転生(生まれ変わり)を経験できなくなる
というのは、
「自然の法則」「宇宙の法則」に守れ育まれてこの「宇宙」に存在を許されている「魂」にとっては
致命的なこと
なのですね。
魂は、たとえ今現在どんな「魂レベル」であったとしても、「その魂のレベルに見合った学び」を続けている限り、必ず「自然の法則」「宇宙の法則」の恩恵を受け続けて、より高い存在となっていきます。
「その魂のレベルに見合った学び」の一環として、
現世での学び(喜び、悲しみ、挫折、逆境、成功、失敗、全て)だけでなく
転生する(生まれ変わること)により、前世での魂の学びを次の人生で更に「補強」「進化」させていく
という方式がとられているから、です。
ここで、
「今後、転生(生まれ変わり)を経験できなくなる」ということは、
魂自体の死滅
を意味します。
人間は死んでも、魂がしっかりと残り、その魂が「転生」していくことで、ある意味永遠に生きていくことになります。
よく、
「魂レベルが高い人」は、転生の回数・前世の回数がとても多く、
「魂レベルが低い人」は、転生の回数・前世の回数が少ない
という見解を述べていらっしゃる専門家の方々が沢山いますが、
これは、私から見ても「正しい」と思われます。
そうやって、みな、「魂レベル」を少しでも上げていく。
気の遠くなるような「宇宙の時間軸・空間軸」の中で、そうやって「進化」していく努力をしているんですね。
だから、どんな存在も本当に「尊い」のです。
「その魂のレベルに見合った学び」に真摯に向き合って続けている限り。
「学び」を放棄した魂は
淘汰
されます。
魂レベルの高い、強い「運」や「エネルギー」を持つ人々を軽々しく「ターゲット」にしている「エナジーバンパイア」というのは、考えてみれば本当に忌々しい存在であるのと同時に
実に哀れな存在
でもあるのですね。
自ら目を覚まさない限り、「魔界の意図」に吸収・同化されて、そのまま「魂レベルで死滅していく」ように運命付けられているから、です。
その時に、手下として利用され尽くしてきた「魔界の意図」が、彼らを助けることは、まずあり得ません。
そして、「自然の法則」「宇宙の法則」の恩恵を受けることも、もうありません。
遅すぎた場合には、そうなります。
だから、安易に「エナジーバンパイアへの道」を選ぶのは、「魂の自殺行為」そのものなんですね。
「魂レベルが未熟」だからといって、甘えていてはいけないのです。
「魂レベルが未熟である」ことを受け入れて、現実を見つめることができる「エナジーバンパイア」がどれだけいることか。。
現実には非常に少ないことは、もうこのブログの読者の方々にとっては痛いほどよくわかっていらっしゃることですよね。
そして、おそらくこのブログの読者の方々のほとんどは、
『「自然の法則」「宇宙の法則」の申し子』側の人達であるはずです。
私はそう信じています。
「魔界の意図」や「エナジーバンパイア」のターゲットにされてしまうほどの
「魂レベルの高い人々」=強い「運」や「エネルギー」を持つ人々」が多いはずです。
「魔界の意図」が、いくら強烈な負のエネルギーを放つ、「この宇宙で『悪の側』に完全に振れ切った存在の集合体」だったとしても、所詮、「宇宙全体」から派生してきている存在であるため、絶対に「宇宙」<「魔界の意図」になることはなく、
「宇宙」>>>>「魔界の意図」
と、そのレベルも階層も立ち位置も次元が違う。
これは既に、前回のブログでもお話しました。
だからこそ、私達は、自分に課せられた「千差万別」の「魂の学び」を大切に受け止め、真摯に毎日を生きていく必要がある。
こういった「覚悟」を持つことと、
「エナジーバンパイア達の末路」を知識として知っていることで、
随分と心が晴れてくることもあります。
今現在、苦しんでいる「ターゲット」の人達は、現時点でまだ「魔界の意図」や「エナジーバンパイア」達からの搾取攻撃を解決できていない場合であっても、このことをよく覚えておいて欲しい。
「搾取攻撃」はとてもキツイものです。
でも、「今現在」を乗り切ることにおいて、
この「覚悟」と「知識」は強力な武器になります。
そこに「知恵」が加わることで、あなたの存在は一気に高みに昇っていけるのですが、
この「知恵」には習得にある程度の時間がかかります。
「習得」というより、「経験値」と「深い洞察」の両方が必要になってくるのですが、
このことは、今日の「編集後記」にじっくりと書いていますので、
是非最後までお読みくださいね!
今日は、「『魔界の意図』や「エナジーバンパイア」の搾取攻撃を受ける・受けない以前に、私達の「存在意義」を明確に示している
「魂のレベル」
について、じっくりお話してみました。
「魂のレベル」について知ることで、なぜ「自然の法則」や「宇宙の法則」がこの世界を支配しているのかのポイントまで理解できるようになります。
引き続き、将来のブログ記事で詳しくお話させていただこうと思います。
対処法や防御の仕方は、まとめて、この「エナジーバンパイアの真実」シリーズの後半で詳しく解説していきます。
まずは、「魔界の意図」やその手下の「エナジーバンパイア」もというのは、通常ではあり得ない、「尋常ではない手段」を多数使用して、あらゆる方法を駆使してターゲットである「魂のレベルが高い人達」を陥れようとしてくる
という事実を、詳しく知ってください。
まだまだ続きます!「エナジーバンパイアの真実」シリーズ!!
【編集後記】
この世界では「自然の法則」「宇宙の法則」のおかげで、ある程度の「秩序」が保たれています。
中学などで理科が得意だった方や、高校・大学で理系だった方なら、誰でも、理科や算数、物理や数学の授業でたくさんの「自然法則」に触れてきているはずですね。
「慣性の法則」
「作用・反作用の法則」
「質量保存の法則」
「ニュートンの法則」
「エネルギー保存の法則」
「オームの法則」
「万有引力の法則」
「フックの法則」
「面積速度一定の法則」
「整数論」
「リーマン幾何学」
「フーリエ解析」
など、一度は耳にしたことのある「法則」ばかりです。
例えば、数の世界では実に様々な法則があるのですが、
テレビがアナログ式からデジタル式に進化したのは、先ほどの「フーリエ解析」を応用しつつ「無駄な情報」を排除して、「動画と音声を圧縮する」という技術を使うことで可能となったものですし、
現代の私達にとってもはや欠かすことのできない「必需品」となった、デジタル式のスマホ携帯電話やタブレットも、先ほどの「整数論」のうちの「符号理論」 により通信内容の信頼性が確保され、「 暗号理論」により使用者のプライバシーが確保されます。
最近はGoogleマップやカーナビでも当たり前のように使われるようになった「GPSシステム」もにも「物理学の法則」が応用されていますよね。「時間と空間」の関連性を利用した「リーマン幾何学の法則」ですが、これは一般相対性理論や特殊相対性理論を唱えたアインシュタインの研究にも応用されている法則です。
私も長年「特許」に関わる仕事をしてきていますので、有名どころの「法則」と、特に科学技術に適用されているその「応用分野」については一通り押さえているつもりですが、このブログでよくお話しているように、本当に「全ての分野は繋がっている」ことが、これらの「法則」から見て取れます。
だから、ある分野で身に付けた「コツ」が、実は関連する他の分野への応用に使える可能性が常にある、ということを認識している・いないでは、アウトプットに大きな違いが生まれてきます。
これは何も、科学技術分野に限ったことではありません。
文系、文理系、芸術系の分野にも全て当てはまることです。
確かに、「応用」に至るまでの「過程」は大変なこともありますし、その「法則」を使いこなして「応用」にまでつなげることは単純なことではないかもしれませんが、とにかく
「似ている」という認識は非常に重要
です。
そこから必ずと言っていいほど「解決策」が生まれるからです。
特にこの
「似ている」という認識を得るのが得意な人
というのは、問題解決能力が高いことが多い。
数学が得意な人の共通点でもありますね。
「数学が得意」というよりも、「数学的な考え方が得意」と言ったほうが適切かもしれません。
現に、数学が大嫌いで大の苦手な「数学的考え方の天才」というのは、どこの分野にも、結構な数で存在しているものです。
年齢、立場、職業などに、全く関係なく、です。
これは、本当に「文系」「理系」に関係ありません。
これは、どんな分野においても、新しいものを生み出す時やアイデアを温めて形にする時に、非常に役立つ認知能力です。
これが得意な人というのは、まず
いきなり難しいことに挑戦する
ということはしない傾向にあります。
まず、「簡単なこと」「比較的理解しやすいこと」「易しいこと」といった「基礎」から徐々にマスターしていく。
螺旋階段を着実に昇るように。
当たり前のことと言えばそうですが、これができていない人があまりにも多いのが現状ですね。
例えば、
九々をマスターすることなく、いきなり二桁以上の掛け算に挑戦するのは無謀の極みです。
単独の一次方程式が解けないのに、連立一次方程式に挑戦するのもあり得ない。
要は、
「難問に出会った場合に、その難問に関連するようなもっと容易な問題を解いてみることで、その難問のパターンや特徴を熟知することができる」
ようになるわけですが、
とにかくこれをやらないで、その部分をすっ飛ばして早くレベルアップした気になりたい
というパターンが、どの分野でも起こっているのが常です。
しかもこの「すっ飛ばし」は、だいたいが「無意識」で行われます。
算数から高等数学に移行する時にも
建築で基礎土台部分から順に上・横へと立体的に建築物を建造する時にも、
絶対に「すっ飛ばし」はできないのはずなのですね。すっ飛ばすと、そもそも目的の問題の解を得たり建築物を実現するという「具現化」ができません。
形にする=具現化する
には、基礎から始まって、繰り返しの練習によって「意識しなくてもできること」を徐々に増やしていく。そして、取り組んでいる「問題」のレベルが徐々に上がってきた時に、自動的に解が頭の中に浮かぶようになったり、考えな くてもどんどん手が動く・行動に移せるという場面が増えると、更にじっくり思考することによって解ける問題や創作できる対象物の範囲が広がっていく。
その「過程」の中で
(これがまたとても重要ですが)
常に「今行っている自分のやり方」を見直して、欠点があればそれを認めて「修正」していく。
無駄な遠回りをしていないか?
逆に近道を急ぎ過ぎていないか?
複雑に捉えすぎていないか?
逆に安易に捉えすぎていないか?
間違った方向に向いていないか?
効率の悪い解き方をしていないか?
何か見落としていないか?
基礎部分の一般的な理論や法則をすっ飛ばしてないか?
それらを本当にちゃんと理解しているか?
「例外」のパターンを知っているか?
そもそも「問題の本質」を、ちゃんと理解できているか?
くじけそうになったら、「過去の経験」から「楽観的」になれる余地がちゃんと自分にはあるか?
こういった「自問自答」を全てのチェックポイントで常に意識して考えているのといないのでは、正しいゴールにたどり着くまでの「時間」と「エネルギーの消費」に雲泥の差が出てきます。
「成功するまで頑張り続ける」
とは、大切なステップを決して吹っ飛ばすことなく、「地道にやっていく」ということなのですが、
既に読者の方はお気づきのように、
これができないのが「エナジーバンパイア」という「魂の学びを放棄した存在」なのですね。
ちなみに、私は仕事柄、今までに多くの技術者、研究者、発明家、エンジニアと関わってきているのですが、
こだわりが強い人はたしかに多いですが(苦笑・私自身もこだわりが強い!)、彼らのような「どちらかというと理系の分野に向き合っている人々」の中で、エナジーバンパイアのような性質を持った人にお目にかかったことはまだありません。
なぜかというと、
技術者、研究者、発明家、エンジニア
の人達が生きている世界、というのは、
「データ」「統計」「証明」「実現化」「製品化」「効用・効能」「副作用の有無」「結果」「実績」
といったアウトプットを常に課せられている世界である上に、
科学技術上の発展の最前線に向かい合うことを常に強いられている世界なので、
実力の誤魔化しがきかない
分野の世界だからです。
いいえ、ジャミ―ロさん、こういった分野の人達の中にも、私の経験上「エナジーバンパイア」はいますよ。
とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
はい。私はまだ幸いにもこの分野で「直接」出会ったことはないものの、いますね。割合は高くないですがいることにはいます。
実際に、「特許侵害」などの事例・判例を見ると「?」と思うこともしばしばですし、
世界中で研究者が「不正研究」「捏造論文」で追及される事態が見られることも現実です。
特許を申請するのは研究者や学者だけではなく、その多くは「現場のエンジニア」や「現場の技術者」の人々が多い。
池井戸潤氏の
「下町ロケット」
の小説やドラマを見たことのある方なら理解できるかもしれませんが、
現場のエンジニアや技術者の人達には、半永続的な
「コミットメント」
が求められます。
「コミットメント」=徹底して向き合うこと
ですね。
その開発技術が世にでるために、ありとあらゆる試行錯誤、七転八倒、実験の繰り返し、試験の繰り返し、追試の繰り返し、完璧な作動の追及、完璧なクオリティーの追及、競合との徹底した差別化、使用者への完璧な貢献性
こういったもの「全て」を「同時に具現化」するために、
「冷静な理性・思考力」と「情熱」の両方が求められます。
ついでに、プロジェクトを遂行するための「強靭な体力」まで求められる。
まさに「意思」無くしては携われない分野なのですね。
そして「半永続的な実力の向上」です。
だから、彼らの多くは、一見すると「頑固」とか「こだわりが強い」などと言われるのですが、
「自分に非常に厳しい人」
が多い。
私から見れば、こういった人こそ「本物」の実力者たちですし、
だからこそ、そんな「本物」達の中にこっそり混ざっている「エナジーバンパイア」、こういった科学技術の分野で「したたかに自分の「利益」や「特権」を得ることだけに傾倒している「エナジーバンパイア」、というのは、文系や文理系の分野のエナジーバンパイアよりも
はるかに罪が重い
と私は思っています。
先日、別のブログ記事で、STAP細胞捏造疑惑の小保方晴子さんのお話を少ししましたが、
要はそういうことなのです。
仮に「STAP細胞『様』の万能細胞」が科学的に存在していて、当時の小保方さんを始めとして、その存在を「勘」で感じ取っていた科学者が世界中にいたとして、それでも「自分が提唱した方法で証明できない」時、真の科学者であればどうするのが「正解」か?
「自分の手で証明できるまで、引き続き『地道に』研究に邁進する」のが科学者の当然の在り方であり、
それでも「証明できない」場合、
不屈の精神で自分でも研究を引き続き続けながら、なおかつ「証明できる別の科学者」にもその解明を託す姿勢。
これなんですね。
なぜなら、
「本物」の目的はただ一つ。
「貢献」
だから。
「捏造」までして焦って形だけ整えて、「自分の手柄」にすることに奔走することではないはずです。
小保方さんが、「真に世の中への貢献」というレベルでSTAP細胞の研究に取り組んでいたのであれば、
「自分のやり方で証明できていない段階」で、STAP細胞自体を公式に発表することは決してなかったはずです。
それだけ「慎重を要する」事柄であったはずなのですね。「真剣にコミットメント」していたのであれば。
「世の中への貢献」ではなく、「自分の手柄」にしたかったわけですね。小保方さんは。
これが「仇」となっしまった。
だから「科学の歴史」のみならず、
「世界中の科学者・研究者・技術者を『愚弄』した」
とまで言われるに至ってしまったのです。
「世界三大不正研究」に認定されてしまったのと同時に。。
(*ちなみに「世界三大不正研究」とは「科学の分野において、これまで歴史上で行われてしまった中でも『最も罪が重い』と考えられる研究不正3件のことです。
①ドイツの物理学者でベル・研究所のヘンドリック・シェーンによる物理学論文捏造問題(2002年)
②韓国の生物学者・黄禹錫(ファン・ウソク)によるES細胞論文捏造問題(2005年)
③日本の理化学研究所ユニットリーダー・小保方晴子によるSTAP細胞論文捏造問題(2014年)
これが、現在「世界三大不正研究」として認定されていますね。)
小保方晴子さんを「エナジーバンパイア」の例に挙げることには賛否両論があるかもしれませんが、
私が言いたいのは、
「エナジーバンパイア」というのは、単に、ターゲットから「運」や「エネルギー」を奪って「スピリチュアル的豪遊」をしているだけの存在ではない、ということなのです。
彼らは、
真に世の中に貢献しようと奮闘している人達の尊厳そのものに泥を塗る
ような存在です。
世の中のために真剣に「コミットメント」している人達の「思い」や「情熱」や「真摯な生き方」そのものに対する
大変な侮辱
だと、私は思っています。
ちょっと話が逸れてしまいましたが、今回の「編集後記」のポイントは、
「本物」は常に「コミットメント」している
ということと、
「螺旋階段」を着実に昇るように、「本物の知識と実力」をつけていくプロセス(過程)は、絶対に自分を裏切らない
ということです。
これは、
「限りない欲望を手早く満たしたい『エナジーバンパイア』には絶対にできないこと」
です。
また、
全ての事柄に置いて『上達のコツ』は多くの分野で似ている
とうことも、覚えておいてください。
そして
①比較的易しい「基礎」から徐々に訓練していく
②「繰り返しの訓練」によってたとえ意識しなくても首尾よくできることを増やしていく
③「ある分野で身に付けたコツ」がその他の分野に応用できないかを、常に意識するようにする
➃自分を客観的に分析しつつ、意識して「自分の欠点を修正」していく
⑤成功するまで(達成するまで)絶対に止めずに頑張り続ける
と、
今まで自分にはできないと思っていた多くの事柄が、いつの間にかできるようになっていきます。
これは実に「爽快」で、青天の霹靂のような経験となりますから、
一度マスターすると、本当に人生が変わりますよ。
特にあなたが「夢」をお持ちの場合、
効果てきめんです!!
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